美しさを探求するからお金が入ってくる⁉
今週末にセミナーがあって、そのためのスライドを連休中に30枚用意しました。でも、昨日になって資料を見直していたら「もっと楽しいことがしたいな〜」と思うわけです。 そして、私は前に作成したスライドを全部捨てちゃって「新しく一から作る!」っていうことをやっていた(あはは〜!アホや〜!)。 ファッションだって「美しい!」というものは時と共に変わっていくわけです。 去年「素敵!」と思っていた服が翌年になって「なんだかパッとしない!」ってなる現象が年中同じ服を着ている私には理解できませんでした。 でも、1ヶ月前に作成した自分の資料をもう一度見直してみると「う〜ん!もっと美しい物ができるかも!」って思うのは、多分、時と共に「美しい!」の感覚が変わっていくから。
時と共に「美しい!」という感覚は洗練されていきます。 たくさんの美しい文学とか美術品に触れていると「美しい」を感じ取る審美眼が鍛えられるように、日々、自分の中では「美しい!」の感覚がどんどん鍛えられているんだな、とちょっとびっくり。 先月作成した時は「これで完璧ですごい資料ができた!」と思っていたのに、1ヶ月経ったら「もっと美しい物ができるかも!」ってなった時に、実は自分の中でものすごい葛藤があったんです。それは「前に作成した資料を捨てる」ということになるから。 「あれだけ時間をかけて作成した資料を捨てるなんて、もったいない!」となるわけです。
私の中では、1ヶ月前に作った資料を見返してみると、「う〜ん!これでやっても楽しくない」となってしまうから「いいや!捨てちゃえ!」ってなるのよね。 捨てる決心をして、新しい資料を作り始めたら「これ!楽しいかも!」ってワクワクしてきます。 美しいものを得るために、古いものを捨てる、ってものすごく大切なことなのね、と資料を作りながら実感してしまった。
ファッションだったら、クロゼットに入っているダサい服を捨てる、ってことなんだろうな。 私はダサい服がたくさんあっても「もったいない」って捨てることができないから「美しい」が探求できなくなってしまう。 一つ一つのものにいろんな思い出があるから、とか、その時に高いお金を払ったから、という理由で捨てなかったけど「捨てないと美しさは探求できないんだ!」って新しい資料を作っていてものすごく実感してしまった。
これまで「捨てることでお金が入ってくる」という仕組みが私はあまりちゃんと理解できていませんでした。 「モノを大切にしない人はお金持ちになれない」ってずっと教わってきたから。 美しいものは残して、あとは捨てる、ということをやっていって「美しい」を探求していけば、お金持ちになれる、という仕組みなのか、と今初めて理解することができた気がする。
「そこに美しさを見出す」って私のタンスに入ってる服を見た時に、唱えてみると「バンバン捨てられるじゃないですか!」ってなるから面白い。「もったいない」とか「高かったから」ってずっと捨てられないでいたけど、それが私の貧乏性で「節約しているつもりなのに全然お金が貯まらない!」ってなっていた原因だったかも。 「そこに美しさを見出す」を唱えてみて、淡々と美しさを探求してみると捨てられなかったさまざまなゴミに埋もれていた、私の中の才能が輝き始める。 「私の中の才能が輝き始める」というのは自分でも恥ずかしいけれど、昨日、古い資料を捨て去って新しい資料を作っている時は、ものすごく楽しくて、自分の中から湧いてくるアイディアは私には輝いて見えていたんです。
そうなのね!以前、ギフテッドの子は、両親から「お金がない」でその才能を潰されてしまう、ということを書いていた。 両親から「お金がない」と言われ続けることで、さまざまなモノを捨てることができなくなるから、その才能で美しさを探究することができなくなって、その才能の輝きを見出せなくなってしまいます。
「そこに美しさを見出す」って唱えてみると、私が埋もれているゴミの中に美しさを見出すと思っていたけど、捨てることで「美しい」を感じることができるようになるって、ちょっとびっくり。 そして、捨てれば捨てるほど、自分の中にある輝きに触れることができて「美しいものだけに関わる」ができるようになるのよね。 美しいものに関わることで、心がどんどん豊かになり「豊かなお金持ち」の道が開かれていきます。