座ってるだけなのに「疲れた」と感じるのはなぜ?
日曜日に「講座の資料を作り直すぞ!」とやっていて「おぉ!面白い!」と資料作りを楽しんでいたつもりだった。
そして、次の日は朝から原稿を書いて「ものすごく頭を使っているな〜」と自分でもちょっと感心しちゃう。
でもびっくりしたのが、その日の夕方に「うわ〜!体力の限界かも!」ってなったこと。夕飯の献立も考えていて、お昼には「今夜の夕食を作るのが楽しみ」となっていたのに、夕方になったら「ちょっとこれじゃあ、夕食を作るのは無理かも!」って思うぐらい体力の限界を感じてしまった。
「なんで?座っているだけで別に体を動かしていないのに、どうしてこんなに疲れるの?」と自分でもちょっとショックを受けちゃう。
仕事を終えたときは、「家で食事を作る?それとも近くの定食屋さんで済ませちゃう?」とものすごく迷ったけど「定食屋のおかみさんと話をする元気がない」となって、諦めて家で食事を作ることにした。
昨日の朝も「うわ〜!やっぱり疲れが全然取れていなくて起きられないかも」と布団から起きることがものすごく辛かった。
そんな時に私の心に聞いたら「遊びに行く!」って言われて「こんなに怠いのにマジで?」と自分の心を疑ってしまう。
本当は、作った資料をもう一度見返そうと思っていたのだけど、心の声に従って「遊びに行こう!」と決意して、車を1時間半運転して海に遊びにいきます。2時間たっぷり遊んで、そして帰ってきて職場に行ったら「頭がスッキリしているかも!」と朝に感じていた倦怠感がどこかに消えていた。朝起きた時は「今日1日、私は大丈夫かな?」と思っていたのに、遊びに行ったら「全然大丈夫じゃん!」と余裕を感じるぐらいになっていた。
座椅子に座って、原稿を書いているだけだから、疲れない、と思っていたのよね。さらに、資料を作成しているときや原稿を書いている時は、頭を使っている感覚は全くないから「座っているだけだから疲れるなんてありえない!」って思っていた。
やっぱり休みを取らないとダメなのね。
腸は収縮と弛緩を繰り返して食べた物が食道から胃、大腸へと移動するのを助けているんですよね。
この収縮と弛緩を繰り返すのを蠕動運動と言って、緊張や活動をしている時の交感神経の時に蠕動運動は抑えられて、リラックスして副交感神経が働いている時に、蠕動運動は活発になる。
脳の中でも「溜まった老廃物を出す」というシステムが腸と同じようにあるみたい(グリンパティックシステムのことです)。
「疲れた」と感じるのは脳の老廃物が溜まっているから、と考えてみると「あぁ!座っているだけでも、脳を使っているから疲れるんだ」という仕組みが見えてきます。
ラットを使った実験では深いノンレム睡眠の時に「老廃物を洗い流す」が最も活発になっていた。
学生の頃に「深いノンレム睡眠の時に悪夢を見ている」と習ったことがある。そう考えると悪夢の中で「きゃ〜!」とか「わあ〜!」って興奮する時に血管が収縮し、その後に弛緩して蠕動運動のようなことをしているんだろうな。
今回の私の「疲れた〜!」で見えてくるのは、寝ている時だけじゃなくて遊んだりして「わぁ〜!」とか「きゃ〜!」と興奮した時に脳の血管が蠕動運動を起こして「老廃物を排出する」をやっているのかも(あくまでもナラティブで書いています)。
連休中に「ずっとダラダラ横になってサブスクでドラマを見続けていた」という時も「だる〜い!」と連休明けに仕事に行きたくなくなってしまうのも「脳の老廃物が排出できていない!」だったから。
腸の蠕動運動のように「緊張と弛緩」があって初めて、脳に溜まった老廃物が排出される、ということを考えたら連休明けの怠さの仕組みがちょっと見えてきます。
悪夢の「わぁ〜!」とか「きゃ〜!」が緊張と弛緩で脳の老廃物を除去していて、それと同じように私の普段の生活の中で「わぁ〜!」とか「きゃ〜!」の悪夢のような現実も私の脳の老廃物を排出してくれているんだろうな。
これまで、ホラー映画をみる人たちの気持ちがわからなかったけど、「脳の老廃物を除去するために見ているんだ」と思ったら「すごいことをしているのかも!」ってなる。それと同じように、私が「あれムカつく!」とか「あれが怖い!」って怯えたりするのも、全部脳の老廃物を除去するためにやっているんだ、と思ったら、怯えてしまう私も美しい、と思えてきます