催眠のお師匠さんの催眠養成講座を受けていた時に「人を褒める(ポジティブコノテーション)」という手法を教えていただきました。

「相手の人を褒めてみましょう!」という練習をした時に、私の顔がものすごく赤くなってしまったのは、ものすごく恥ずかしさを感じたから。おべんちゃら(相手を喜ばせるための口先ばかりのお世辞)を言ってみるみたいな感覚で「恥ずかしい!」ってなってしまった。

 

今振り返ってみれば、あの恥ずかしい、という感覚は正しかったのかもしれない。なぜなら「相手を褒める」というのは「私の内面の美しさを相手に映し出して褒める」ということだから。

私はずっと「私は醜くて頭が悪くて誰からも褒められるところがない」と表面的には言っているけど、本当は「ねえ!褒めて!褒めて!」と心の中では称賛されることをものすごく求めている(あはは〜!認めちゃった!)。私は、人から「あの人ナルシストなんじゃないの?」と後ろ指をさされることを恐れているから「私は馬鹿で醜いです」と言っているけど、本当は誉めて認めてほしい。

 

でも、面白いのよね!私が実際に誰かから褒められたりすると「そんなことありません!」ってものすごい恥ずかしい気持ちになって、居ても立ってもいられない気持ちになって否定してしまう。あれって、人から認められてしまって、期待されると、人の期待に応えなければいけなくなるから否定したくなるのよね。私の場合、人に期待されると、そのプレッシャーから「期待に応えられない」ってなってしまうから。

でも、今考えてみたら、期待に応えられないプレッシャーだけじゃなくて、他人から「あなたはすごいですね!」と褒められても、時が経つと「あなたは最低ですね」というような感じに変わってしまうことを知っていたから。

 

これを「理想化とこき下ろし」っていうのよね。

褒めて褒めて人のことをものすごく持ち上げてくる人は、ある時、手のひら返しで今度はこき下ろしてくる。

学校で仲が良かった友達が突然、態度が変わってしまって、全く口を聞いてくれなくなってしまったあの恐怖が私の中に刻まれているんだろうな。だから、褒められて、嬉し恥ずかしい気持ちになっているけど、その向こう側には「褒められたらこき下ろされる」という怖さがあるのよね。だから、褒められれば思いっきり否定したくなってしまう。

私が相手との距離を縮めたくなかったのは、傷つけられることを恐れていたから。

 

だから、催眠のお師匠さんのところで「相手を褒めましょう」と言われた時に、ものすごく複雑な気持ちになったのよね。

そんな時、催眠のお師匠さんがすごいのだけれど、「人のことを褒められない」という時に「催眠スクリプトを読み上げる」ということをしてくださって「あれ?人のことを褒めるのに抵抗がなくなった!」となったんです。

そう、お師匠さんは催眠スクリプトを通じて、「人を褒めるとは、自分の内面の美しさを相手に映し出す作業ですよ」ということを無意識のうちに教えてくださったから。

 

そしてさらに、催眠のお師匠さんは、「自分の内面にある美しさを認めれば認めるほど、さらに美しさが磨かれていきますよ!」ということも無意識のうちに教えてくださっていた。

そうなのよね!相手を褒めるというのは、そこに自分の内面にある美しさを映し出しているから。

心から相手の美しさを褒めることができるのは、自分も同じ美しさを内面に宿しているからなのよね。

相手の中にどれだけ美しさ見出すことができるのか、というのは、自分の中にどれだけ美しさを兼ね備えているのか、ということになる。そして、その価値は自分の中に秘めてある美しさだから、決して暴落することがない。理想化とこき下ろしが起きないのよね。

自分が苦しんで手に入れた内面にある美しさは、長年の間、何層にも積み重ねられて生み出されたものだから、決して変わることがない。

その内面にある輝きが相手の中にある美しさを照らし出すんです。