欲望に罪悪感があるな〜、と私が一番感じやすいのは「睡眠欲」です。

ちょっとわかりやすく、睡眠欲を「何もしないでゆっくり休みたい」という「休息欲」に置き換えてみると、それを感じた時に私は確実に休むことへの罪悪感があります。

「疲れたから休みたい」と思って座椅子に座っていると、ソワソワしてきて落ち着かなくなってきます。何もしないで座りながらゆっくり心安らかにしていればいいのに、スマホで動画を検索してしまうのは「何かしなきゃ」と思ってしまうから。

 

子供の頃に、ぼーっと座っていると、いつも母親から「どうしてあんたはいつもだらだらしているの!」って怒鳴られていた。

休みの日だからゆっくり横になっていたい、と思っていたら、母親がいきなり掃除機をかけて「あんたはいつもダラダラしている」と言わんばかりに掃除機のヘッドをバンバンと壁に叩きつけ大きな音を立てて私の心は休まらない。

 

そして、大人になった私は、ここに母親はいないのに「ゆっくり休みたい」と思って静かな部屋で目を閉じた時に「何もしないで時間を無駄にしている」と責められている感覚になります。

推測脳(側頭頭頂接合部)は「人の気持ちを推測した時に活発になる」となっています。

疲れて休息欲などの私の欲望が出た時に、瞬間的に「母親だったらこんな私を見てどう思うだろう?」と推測してしまう。もちろん、私はこんなことをしている自覚は全くありません。「ゆっくり休みたい」と思ったら、落ち着かなくなって動画を見るのがやめられなくなった、というだけ。

でも、ちゃんと私の心の中を掘り下げてみると、「休みたい」と思った時に、母親から「あんたはいつも時間を無駄にしている」と嫌味を言われて、罪悪感を感じた時のことが浮かんでくるわけです。

これは「母親から受けた心の傷が引き起こしている」という専門家もいますが、実際は、推測脳はこれまでの経験値に基づいたヒューリスティックで瞬時に判断する、という性質のせいなんです。

 

もし、私が誰もいない一人キャンプに行ったとしたら「何もしていなくても責められている感覚は感じない!」ってなるでしょう。

でも、アパートに帰ってきて、ゴロンと横になっていると「落ち着かなくて動画を見続けてしまう」と休息欲に罪悪感が伴ってしまいます。

それは「近所の人の目」とか「職場の人の目」を意識してしまうからなんです。

部屋にいたら近所の人の目なんてあるわけがないのですが、ちょっとでも隣の部屋の音が聞こえてきたら「相手の気持ちを推測する」という私の推測脳が活発になってしまう。

さらには、「ゆっくり休みたい」と休息欲が出た時には、自動的に「周りの人の気持ちを推測する」が条件づけられてしまっているから、幼少期の経験則から「いけないことをしている気がする」と罪悪感が湧いてきて落ち着かなくなってしまうんです。


それってどうして?というと、私は自分以外の人は自分よりも自己肯定感が高い、と思っているから。

単純な話で「私の自己肯定感が低い」と思っている時点で「周りの人の自己肯定感が高い」ということになってしまうわけです。

近所の人のことを何にも知らないのに。「私よりも自己肯定感が高い」と思った瞬間に「相手はこんな私のことをどう思うんだろう?」と相手からの評価が気になってしまうから「推測脳が活発になる!」で母親からの経験則がバリバリ働いて「私はいけないことをしている」となってしまって、ますます私の自己肯定感は下がってしまうわけです。

 

ここで「みんな自己肯定感は低いんだ!」と思ってみると、「あれ?心が静かになった!」となるのは、自己肯定感が低い相手には推測脳が働かなくなるから。

偉そうにしている近所のおじさんもみんな自己肯定感が低いんだ、と思ってみると、推測脳が働かなくなって、欲望に対する罪悪感が消えていく。

罪悪感がなくなっていくと、「あれ?さっきまであんなに怠くてゆっくり休みたい」と思っていたのに怠くなくなった、となるのは、罪悪感がなくなると休息欲が暴走しなくなるから。

 

怠くて何もしたくない、と何もできなかった私が、動き出して淡々と次の日の用意を始めている。それは休む罪悪感から動いているのではなくて「これを終わらせたらゆっくり休むのが楽しみ」と私の静かな欲望に心安らいでいるから。

なんだかだるさを感じて落ち着かなくなったら、

「みんな自己肯定感が低いんだ!」と思ってみると欲望が適度になって心が安らいでいきます。