お金の金額が他者からの評価になっていた。

「みんな自己評価が低いんだ」と思ってみると、意外なことに気づきます。それは私が「お金の金額で自分の価値を決めていた!」ということ。一番わかりやすいのは、お正月に親戚のところに行った時「あれ?7歳離れた弟とお年玉の金額が一緒!」とポチ袋を開けた時にガーンとショックを受けちゃいます。こんなにいつも親戚のおじさんには愛想をよくしているのに、私の価値は何もしないでただ遊んでいるだけの弟と一緒?と思って、もらったお年玉に価値を感じなくなっていた。


仕事を始めた時にも、最初は「雇っていただいてありがたい」と思って「働かせていただけるだけで感謝です」となっていたのが、しばらくして「あれ?全然仕事ができない人と私の給料が一緒?」となった時に「私の価値ってそんなに低いの?」とショックを受けて、せっかく採用してもらったその職場を辞めたくなっていた。私の中で「お金」で推測脳のスイッチが入ってしまって「上司は私のことをちゃんと評価してくれていない」と思ってしまう。そこから私の推測脳が暴走してしまうので「こんな無能な上司の下で仕事をしていても何も意味がないのでは」と思ってしまう。そして私はそんな上司を見下すようになってしまう。上司を見下せば見下すほど「上司からちゃんと認められない」となるから、ついにその職場に居られなくなってしまっていた。


私は、その時「上司の無能さを私はちゃんとわかっていた」と思っていた。自分だけが公平で正当な判断ができて、上司の無能さをちゃんと把握できる、と信じて疑いませんでした。でも「みんな自己評価が低いんだ」と思ってみると「あれ?あの時、私は上司から私の価値をわかってもらえなかったから怒っていただけなんだ!」ということに気づいちゃう。そもそも上司が無能だったら人の価値なんて決められるわけがないのに、私は上司が客観的に相手の価値を判断できるくせに私の評価をわざと低く見積もっていると思っていた。おぉ!私の推測脳ってすごいな〜!


「みんな自己肯定感が低いんだ」と思ってみると「私にとって上司から認められることが全てだったんだな〜」と懐かしく思う。それって「お母さんから認めてほしくても認められない」を繰り返してしまうのは、推測脳は母親との経験値でヒューリスティックに判断するからなのよね。


「みんな自己肯定感が低いんだ」と思ってみると「無駄に時間を使ってきてしまった」とかの後悔が湧いてくなくて「あの時は頑張ったよね〜!」と思える。そして、今は「どの欲を燃やして生きようかしら」と楽しみになってくる。これまで散々人からの評価のために生きてきたわけですから、これからは自分の欲望の炎で心安らぎながら生きて良いわけです。


「お金」が「人からの評価」になっていた時は、一生懸命に頑張ってガツガツやらなきゃ!となっていたけど、私の欲を燃やしながら、と思ってみると、心の中が静かで安らいで行きます。「ちゃんとした評価(お金)を得たいのに得られない」とずっと頑張っているとGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまうから「脳の中の興奮がおさまらない!」となってしまう。脳の中の興奮がおさまらないと「お金が足りない!」と餓鬼になった感じでイライラが止まらなくなる。


「自分の欲」にしてみると、不思議なんですけど「あれ?それほど求めていないの?」とあれほど「足りない」とかなっていたのに、それがいつの間にか消えてなくなっています。「みんな自己肯定感が低いんだ」と思ってみると、お金の価値はその人の価値じゃないのよね、とちゃんと見えてくる。すると私の中で人目を気にしていてできなかったことが自由にできるようになって、いつの間にかそれが「お金」につながっていきます。


そんな時に私は「あれ?どうしてあんなにお金を欲していた時に得られなかったのがこんなに簡単に得られるの?」となるわけです。そう、お金の価値が私の価値と思って推測脳が働いてしまうと、餓鬼状態になって「人から私のものを奪われる」ってものすごい緊張状態にいましたから、何をやってもコンスタントに続かないのよね。


欲望を燃やしながらいると、不思議と淡々と楽しみながら続けられて、そしてどんどん心は安らいでいきます。