夜、夕食を作って食べた後に「食器洗うのは面倒くさいな〜」と思っていました。

でも「後で洗うのも面倒くさいからさっさと洗ってしまおう!」と洗剤でグラスを洗って、その水滴を布巾で拭き取っていたら「きれいになって気持ちがいい!」と私はある一種の快感を感じていたんです。おぉ!綺麗にするってこんなに気持ちがいいんだ!と感動しながら、この快感に対して「面倒くさい」って条件づけられていたってどういうこと?と疑問になる。その正体が私の推測脳に溜め込まれている母親からの経験値になります。

 

母親は「この子はだらしない」とか「この子は面倒くさがり」や「何をやらせても不器用で汚い」などと言われていました。母親がその場にいなくても私は「皿を洗おう」と思った瞬間に「私は不器用で皿をきれいに洗えないと思われている」と推測脳(側頭頭頂接合部)が働いてしまう。推測脳が働いて「皿を洗うのがストレス」になると腹側線条体と腹側淡蒼球を結ぶ神経回路が活発になって「やる気ブレーキ」がかかってしまうんです

(嫌な仕事を「始められない」のう回路を解明―行動開始を押さえる「やる気ブレーキ」を発見 京都大学https://research-er.jp/articles/view/151902)。

 

推測脳が働くと心が乱れてストレスになるから「やる気ブレーキ」がかかってしまいます。そしたら母親から言われてきた「この子はだらしない」とか「面倒くさがり屋で何一つまともにできない」が現実になってしまって私の推測脳がますます活発になってストレスを感じて、という悪循環になってしまいます(すべてナラティブで書いています)。

 

面白いのは「みんな自己肯定感が低いんだ」と思って見ると腹側線条体と腹側淡蒼球を結ぶ神経回路が抑制されて「やる気ブレーキが緩まった!」となって「お皿を洗ってみたら気持ちいいかも!」とやる気が出てきます。そして洗って食器を拭いてみたら「きれいになって気持ちがいい!」でますますやる気ブレーキに左右されずに行動できるようになって、自分の欲の方向に向かって進むことができて「心が安らぐ~!」ってなるわけです。

 

「きれいになって気持ちがいい!」というのがお金を稼いだ時と同じような報酬になる。でも、推測脳が働いてしまうと常に報酬と罰が一緒になる感じになるから「やる気ブレーキで一歩が踏み出せない」で報酬が得られない。もし、食器を洗ったとしても「グラスについた水シミが気になる」で「気持ちいい!」が感じられないから”報酬”は得られなくなり「やる気ブレーキ」がかかってしまうのよね。

私がびっくりしたのが「やる気ブレーキ」がかからなければこんなに小さなことで「気持ちいい!」っていう報酬が得られて気分が安らぐんだ、ということ。

きれいになったグラスを「キレイで癒される」と思って眺めていましたからね(アハハ~アホや~!)。でも、こんなに気持ちがいいものだったんだ!と若干ショックを受けたぐらい。何故なら、ずっとこの気持ちよさをやる気ブレーキのせいで実感できなかったから。

 

これっていろんな快感に“罰”が条件づけられているんです。「布団に入って寝る」は、本来「気持ちがいい!」という快感のはず。ところが「早く寝なきゃ!」と私は寝る前に思ってしまうのは「明日の仕事があるから」なんですけど、これも子供の頃から「いつまでダラダラしているの!さっさと寝なさい!」と母から怒鳴りつけられていました。

だから「眠る」という快感に対して「ダラダラしていつまでも寝ない」という“罰”が条件づけられているので「やる気ブレーキ」が掛かってしまって「寝ようと思ってもダラダラしてしまってなかなか眠れない」になる。布団に入っても「眠る」という快感に“罰”が結びついているから「なんか落ち着かなくて眠りに入れない!」ってなるから大変。

 

そんな時に「みんな自己肯定感が低いんだ」と思ってみるのは“罰”の元である推測脳をオフにするためなんです。推測脳が働いていると、私が一人でいても「こんなダラダラしている私を見たら母親は何て思うだろう」と気づかないうちに考えてしまっていて「いつもそうやって時間を無駄にする!」とか「早く寝ないから朝ちゃんと起きられないのよ!」などと怒られた“罰”が思い出されてしまって「やる気ブレーキ」がかかって「なかなか眠れない」になって「寝て気持ちがいい!」という快感が感じられなくなる。

みんな自己肯定感が低いんだ」と思って推測脳をオフにすると「眠るって気持ちがいい!」で快感を感じることができて心が安らいでいきます。