お金があったら心が安らぐと思っていた
私は「お金があったら心が安らぐ」とずっと思っていました(どんだけ〜☝️☝️)。
でも「お金の快感」を唱えてやる気ブレーキが外れたら「お金に罰がついていたから私の心は安らがなかっただけなんだ!」ということがわかってきます。お金がないから、心が乱されている、と信じて疑わなかったのですが「お金」というだけで「罰」が条件づけられていたので、やる気ブレーキがかかってしまって「心が穏やかじゃなくなる」で惨めな気持ちになっていただけ。
そして私は「お金持ちの人が羨ましい」とずっと思っていたけど「お金の快感」を唱えてやる気ブレーキが外れてみると「お金持ちもみんな同じなんだ〜」となるから面白い。「お金持ちは私と違っていて心安らか」と勝手に私は決めつけていました。でも、やる気ブレーキが外れてみると「私と同じなんだ!」で羨ましさが消えて無くなっていく。
そうなのよね、私には「お金」で「罰」が条件づけられているから「お金持ち」と思った瞬間に「罰」が働くから「私は貧乏で一生惨めでそこから抜け出せない」というやる気ブレーキが思いっきりかかっていた。「お金持ちのみんなは幸せ」で「私の不幸」は「お金に条件づけられた罰」で私の中に自動的の浮かんできてしまう。
人のことを羨ましい、と思っていたのも「お金」という報酬に「罰」が条件づけられていたからだった。その「罰」が「お金の快感」で打ち消されてみると「羨ましい」と思っていた人の正体が見えてきます。「あれ?特別な人だと思っていたけど普通の人じゃん!」って。「この人すごいな」と思っていた人が「お金の快感」と思ってみると「みんな私と同じ」ってなるからお金に条件づけられていた私の罰ってすごいな、と思うんです。
私はお金という報酬に「罰」がついているから、みんなが私よりも豊かでお金を持っているように見えてしまう。そして、そんなお金持ちのみなさんは私よりも優れたものを持っていると勝手に思い込んで羨ましく思ってしまっていた。「お金の快感」を唱えて「罰」が打ち消されていくと、私が周りの人をものすごい色眼鏡で見ていたことがわかるようになります。「おぉ!信じちゃいけない人を疑いもなく信じていた」って見える。
別にそれが見えたからって信じたことへの後悔とかは湧いてこなくて「本当に私は色眼鏡で見ていたんだ」ということがわかるだけ。騙された悔しさとかもなくて、ちゃんと私が何かをそこから学習していることが感じられる。そう、いちいち言い訳のように「あの人を信じたことは意味があった」とか一切考える必要がない感じで、ただ前に進んでいくこの感覚。
やる気ブレーキが外れてみると、欲望に向かって、淡々と進んでいく感じで、立ち止まって過去を振り返ったりしなくなる。
そうなのよね、人のことを信じて「騙された」となるのは、私が勝手に周りの人が自分よりもキラキラに見えてしまっていたから。周りがキラキラに見えていたのは「報酬」に「罰」が条件づけられていてやる気ブレーキがかかって動けずに惨めな気持ちになっていただけ。人のことがキラキラに見えたら「お金の快感」で私の中にある「罰」を打ち消してみる。すると「あれ?みんな普通の人」でそれほど期待しなくなる。すると人との距離感がちょうど良くなって「心が安らぐ」ってなるから便利。
「お金がない」と思っていた時は、人脈とかがないと大変なことになる、と思って、心の中にいろんな人を囲っていたわけです。「あの人との関係を切ったら大変なことになる!」って焦る感じがそれなのよね。だから、あの人から見捨てられないようにいつもあの人のことを考えていたから、心が乱されていました。「お金の快感」でお金の罰が消えていくと、あれだけこだわっていたあの人との距離感が適切になって、あの人からどう思われるとかが気にならなくなる。
そんな時に、うわ〜!私の人間関係の不安は、お金と関係していたんだ〜、って見えてくるのよね。どれだけ現金な人なんだよ、と自分にツッコミたくなります。そんな時にも「お金の快感」を唱えてみると、私の頭の中は静かになって、心が安らぐ欲望の方向へと淡々と進んでいきます。