私は、人から「〇〇をして!」と仕事を頼まれた時に「はい!喜んで!」という感じで素直にできる時と「えぇ〜!何で私がその仕事をやらなきゃいけないの!」となる時があります。

「なんで、私がその仕事をやらされるの?」と不快な気分になってしまったら、ずっとそれが頭の中でぐるぐるしちゃう。

 

この不快な気分は、私が実家にいた時に、母親に「あんた!これをやって!」と言われた時に感じた時と同じだったりするんです。母親が「あんた、これをやって!」という背景には「あんたはダラダラしていて何も生産的なことをしていないのだから罰としてこれをやりなさい!」があったりします。まあ、実際に母親から「あんたはダラダラしているのだから、ちょっとは親の手伝いをしなさい!」ってしょっちゅう言われてました。

「ダラダラしていることが罪」でその罪に対する「罰」が労働になります。

罰として労働をさせられる、となると「やる気ブレーキ」がかかってしまって「やりたくない!」でめちゃくちゃ気が重くなる。

 

職場での上司とのやりとりで、その上司がちゃんと私がやっている仕事を評価してくれているのだったら、仕事を頼まれても、やる気ブレーキはかかりません。

でも、その上司が「私の仕事を全く評価してくれていない!」という場合は、仕事を頼まれた時に「まともな仕事をしていない罰としてこれをしなさい!」というメッセージが含まれるから「全然やりたくない」でやる気ブレーキがかかってしまいます。

 

でも、私の場合「上司が私の仕事を全く評価してくれない」と思ってしまうのは、推測脳が働いてしまっていて「母親と上司はやっていることが一緒」という錯覚を越してしまいます。不機嫌そうにしてる上司だったら、すぐに私の推測脳が活発になって上司の気持ちを私の過去の経験と照らし合わせて判断してしまいます。「不機嫌な顔」=「不機嫌な母親」ですから「母親はあの表情の時に私にいっぱい文句を言っていた」になるので「上司は私のことをよく思っていない」になってしまって、上司から頼まれた仕事は「罰」になるからやる気ブレーキがかかってまともにできなくなる。私のやる気ブレーキで仕事がまともにできなくなると、上司から評価されなくなるから、私は「ほら!やっぱり私が思った通り上司は私のことをちゃんと評価していない!」で私の推測脳が正しい、と思ってしまいます。

 

さらに私の場合は、子供の頃から休みの日にゴロゴロして何もしたくない、と思っていても「何もしていない罪悪感」が湧いてきてしまいます。お父さんとお母さんはあんなに休みなく一生懸命に働いているのに、私は何もしていないでダラダラしている、という罪悪感が湧いてきます。そんな時に「〇〇をして!」と言われただけで私の脳内ではやる気ブレーキがかかってしまうのは「罪悪感」があるから「頼まれごとは罰」と認識されてしまうから。

そして頼まれたことがいつまで経ってもできなくなってしまいます。

「なんで頼んだことをあの人はちゃんとやってくれないんだろう?」となっている時は、相手の中の「申し訳ない」という罪悪感があると「頼まれごとは罰」になるから、やる気ブレーキがかかってしまって「できない!」ってなるのよね。そして私が相手に対して「なんでちゃんとやれないの!」と責めれば、それがますます罰になるからやる気ブレーキがかかって出来なくなる、となっていたわけです。

 

この「罰」を「お金の快感」で打ち消してみると「あれ?頼まれたことが簡単にできるようになる」となるから面白い。私が不機嫌な人から「コピーを撮ってきて」と言われた時に「なんで私がそんなことをやらなきゃいけないの?」とイラッとして「面倒くさい!」と感じたら「お金の快感」を唱えちゃう。すると私は「なんだ!こんな簡単なことじゃん!」とサクっとコピーを撮ってすぐに「はい!どうぞ!」と笑顔で相手に渡すことができちゃう。

すると、相手から「ありががとう!」と笑顔の報酬が返ってきて私の心は安らいでいます。そんな時に「なんで私はこんな簡単なことができなかったんだろう」と思うわけです。そんな簡単なことで心が安らいでいきます。