クリニックの院長先生に「先生!お願いがあるのですが」と伝えると、院長は「ダメ〜!」と私のお願いを聞く前に「ダメ!」と笑いながらおっしゃっていた。 でも、ちゃんとその後に話を聞いてくださって、適切に判断してくださっていた。

私は、その院長の「ダメ〜!」を聞くのが結構好きでした。なぜなら、私にはそれができなかったから。

私は人から頼み事をされると、気分が乗らない時でも話を聞いてしまって、そして結果断れなくなって引き受けてしまう。 院長先生のように初めから「ダメ!」って断っていたらどんなに気持ちが楽なんだろうな、と私ができないことに憧れを感じていたんです。 これも「あぁ!断ったら罰を受ける」ということで、断るためのやる気ブレーキがかかっていたんだ!ということがわかります。

断ったらものすごく嫌な顔をされる、というのが「罰」になってしまっている。 私が相手に断ったら「ものすごく気まずい空気になる」というのが罰だから、やる気ブレーキがかかって「断れない!」ってなってしまいます。


私は「気が弱いから断れない」と思っていたけど、そうじゃなくて「相手との関係が悪くなる」という「罰」を恐れているから、やる気ブレーキがかかっていたんだ、と思ったらちょっと楽しくなってきます。 なぜなら、人と会話をしている時に、何か頼まれたらどうしよう、と構えてしまっているから。 だから、人が話しかけてくると、私の気が重くなってしまう。

もしかして、人と会話をするのが苦手、と思っていたのは「話が苦手」じゃなくて「相手から何か言われたら断れない」ということで「苦手」って感じていたのかも。

確かに、お店とかいって店員さんに話しかけられるとものすごく緊張する、って「勧められたものを断る」というのがものすごくブレーキがかかって苦手だからなんですよね。 だから、お店に入るといつも「話しかけてこないで!」って思ってしまいます。


この「断ったら罰を受ける」を「お金の快感」を唱えて消してみます。 なんで「お金の快感」という呪文で「断った時の罰」が消えるの?と疑問になります。

「断る」では「私の時間と労力」がお金換算になるわけです。 時間とお金を節約することは、お金を稼ぐことと同じなんですよね。 「相手と気まずくなる」の罰を「お金の快感」を唱えてみると「あれ?消えていく!」となって「それは自分でやってね!」と適切な断り方ができて、気まずい空気にならなくなる。

「人と会話をするのが億劫だ」と思った時にも「お金の快感」を唱えてみると、相手の話の要点だけ聞いて「あれ?ダラダラ話が続かなくなった!」となるからちょっと驚いた。

そうか!相手の長い話を切ったら相手との関係が気まずくなる、と思っていたから、私は嫌な顔をしながら相手の話を聞いていたのかも。 私が嫌な顔をすれば「あれ?この人私の話をちゃんと理解していないのかも!」って相手はどんどん細かいことを話す必要が出てきて「話が止まらない!」ってなっていた。


私は「罰」を恐れてやる気ブレーキがかかっていて相手との境界線がちゃんと引けていなかったから、人との関係が嫌〜!となっていたわけです。

「お金の快感」を唱えてみると、罰が打ち消されて、そして、相手と適切な境界線が引けて「なんだか人との関係が楽になったかも!」と人と会話するのが楽しくなってきた。

確かに振り返ってみると、子供の頃に親が話しかけてくる時って、必ず「〇〇をしなさい!」って命令されていたから。 それをしないと「怒られる」と罰を恐れていたけど、それができなくて、親が話しかけてくるのが怖かったな〜。 人との関係で必ず私は相手の気持ちを推測してしまうから、その時に過去のその体験が使われてしまって「何か頼み事をされたら断れない!」と「断ったら罰を受ける」でやる気ブレーキがかかって、人との関係が面倒臭いことになっていた(全てナラティブで書いています)。


人間関係でも「お金の快感」の呪文を唱えてみると、罰が打ち消され、人の中にいても本来の自分らしく振る舞えるようになります。