私はいつも「嫌なことばかり考えている!」になっているから「気持ちがいい!」なんて感じられない、と思っていました。

でも、最近、サブスクで映画を見ていて「おぉ!気持ちいいとちゃんと感じられているかも!」でちょっとびっくり。 竜巻を追いかける人たちの映画で「みんなで竜巻から街の人を救うぞ!」とみんなが一体になっているシーンで「私は感動している!」となっていた。

その「感動している!」が気持ちいい!ですね。 「みんなで一体感で気持ちいい!」をちゃんと感じていた。 そして、主人公が長年の夢を達成した時に「すご〜い!」って主人公に感情移入をして「優越感の気持ちよさ!」を私はちゃんと感じていた。 私は映画を見て「感動」を感じているということは「気持ちいい!」もちゃんと感じられている。 子供の頃から「私は冷めている」とずっと思っていて、合唱コンクールでクラスが優勝した時でも私だけが感動して泣いているみんなを冷ややかな目で見ていた。

何をやっても「成し遂げた!」という達成感もないし、優越感なんて感じたことがない。 さらには「みんなと一体感なんてちっとも体験したことがない」と思っていたけど「あれ?映画を見ていてそれを感じられるってことは、ちゃんと“気持ちいい”は感じられるはずじゃん!」となる(ちなみに映画は「ツイスターズ(2024年)」でした)。


なんで私は「気持ちいい!」が感じられない、と思っている? それは、子供の頃に楽しんではしゃいでいると母親から引っ叩かれていたから。

日曜日に教会なんかに行った時に、楽しそうにしていると母親に太ももをつねられていたな〜。 そして成長して楽しそうにしてると「調子に乗るな!」と怒られた。 嬉しそうにしていると「成績が悪いのになんでそんなはしゃいでいられるの!」って嫌味を言われる。 そして、父親に告げ口をされて、父親が帰ったら思いっきり引っ叩かれて畳に投げ飛ばされる。 バレンタインのチョコをもらって喜んで引き出しに入れていたら、母親がそれを見つけて「気持ち悪い!」って言われて、めちゃくちゃ嫌な気分になった。 うわ〜!これじゃあ「気持ちいい!」を感じちゃいけない、ってなるよね〜。

実際に、海で運動をして「気持ちがいい!」ってなっていたのに、帰りの車の中で不快な車の運転手にイラッとしてしまって嫌な気分になって「気持ちいい!」が頭から抜けてしまう。

そう「あの運転手なんで!」と思ってしまったら、不快なことがぐるぐるしちゃって私の中の「気持ちがいい!」が消えちゃう。

おぉ!こうやって不快で「気持ちいい!」が打ち消されてしまって「気持ちいいが感じられない!」って思っていたんだ、とちょっと納得。


さらに「気持ちがいい!」に続いて「不快!」の罰が常に条件づけられてしまうから腹側線条体と腹側淡蒼球の間の神経ネットワークが過活動を起こしてしまうから「気持ちいい!」を選択する時に「やる気ブレーキ!」がかかってしまう。 だから「気持ちいい!」が選択できないんだ〜!

そうなのよね!みんなと話を合わせたら楽しそう!ってなっている時に、私は「別に楽しくありませんから!」と天邪鬼になってしまうのは「楽しい!」に「罰」が条件づけられて「やる気ブレーキ」がかかってしまっているからそっちが選択できない。 そしてゴミ捨てに行ったらスッキリして気持ちがいいのに「やる気ブレーキ」がかかって「気持ちいい!」が選択できなくなっていただけ。


そう、運動して「気持ちいい!」と思っていても「不快」に注目してしまうのも「やる気ブレーキ」で「気持ちいい」の方向に進めなくて、その感覚に浸ることができなくなっているから。

「気持ちいいを選択していいんだ!」と思ってみると「あれ?不快感が減っていきちゃんと気持ちいいが感じられるじゃない!」でちょっとびっくり。

こんな簡単なことで良かったの? なぜなら、自分の頭は壊れてしまって「気持ちいい」が感じられなくてこれからの人生打算的にしか生きられない、と思っていたから。


「気持ちいいを選択していいんだ!」と思うだけで、不快なことから「気持ちいい!」の方向を選択してどんどん「気持ちいい!」が私の中で積み重なって、私の壊れていた脳が修復されていきます。「みんなと話が盛り上がって楽しい!」ってなって、その後に「あんなこと言わなきゃ良かった!」っていうのも「やる気ブレーキ」だから「気持ちいいを感じていいんだ!」って思ってみると「気持ちいい」だけが残って心が安らいでいく。 心が安らいでいくと私の脳が生き生きと回復していきます。