“気持ちいい”のはずなのに、なぜか選べない理由
今朝、近所のおじさんとジョギングから帰ってきてばったり会ってしまって「調子はどう?」と聞かれます。その時に「いや〜!昨日、自分で作った料理が美味しくて!」とその話をしたくなる。
そう、昨晩、玉ねぎをスライスして、フライパンで中火で飴色になるまで炒めて、そこにトマトの細かく切ったものを入れてペースト状にして、出汁粉を振りかけ味を整えて、豚バラのスライスをそこに加えて完成します。それと一緒にスーパーで買ってきた穴子をノンフライヤーで魚フライにして皮まで食べられるレモンを絞って「美味しい!」って感動していた。
その料理が朝になっても忘れられず「うわ〜!話したい!」と思うけど、それを話してしまったら「チーン!」って場がしらけてしまって「うわ〜!喋らなきゃ良かった!」ってなるんだな〜。
だから私はおじさんに対して「まあ、大変ですわ!腰が痛くて!」と不快な部分をおじさんに告げる。すると、おじさんは嬉しそうに「そうですか!私も腰を痛めてからラジオ体操を始めて、それから腰の痛みからだいぶ解放されたんですよ!ぜひ、一緒にいかがですか?」と誘われる。私は笑顔で「それはすごいですね!だからラジオ体操って人気があるんだ!」と笑顔でおじさんの前から去っていく。
私にとって「喋りたいことを喋るのが快感なのか?」それとも「おじさんに優越感を与えて優越の快感に浸るのか?」のどちらが気持ちがいい?となるわけです。私はこれまで「喋りたいことを喋るのが快感」と思ってきました。私が「気持ちがいい!」ということを誰かにシェアしたい、という感覚。それは私が気持ちいい!と思ったことを相手に共感してもらって、一緒に「気持ちがいい」と感じてもらうこと。あれ?ちょっと待って!それってちょっと気持ち悪くない?おじさんに私が気持ち良かった体験話をして、おじさんが「それは気持ちがいいですね!」なんて言われた日には「ギャ〜!」ってなりそう。私は何をしようとしていたんだ!ちょっと怖くなってきます。
私のこれってまさに「気持ちいい!」にやる気ブレーキをかけてしまう癖みたいなもの。私が気持ちがいい、と思っていることを人に話すことで「気持ち悪い」という反応が返ってくる。
だから私はせっかくの「気持ちがいい!」に浸れなくなる。私の脳内でやる気ブレーキがかかっているから、私は必ず気持ちがいいに浸れない状況を選択してしまう。
そして、私の頭の中は不快だらけになっていく。私の頭の中って「気持ちいい!」がなくて常に不平と不満ばかり、と思っていたけど、それって「気持ちいい!」を選択する「やる気ブレーキ」がかかっているだけ。だから、私が「気持ちがいい!」と思ってやろうとしていることを「ちょっと待てよ!」って疑ってみる必要があるのかも。
私は、仕事から帰ってきて「疲れた〜!」ってなって食事を食べてから、いつもだったら「スナック菓子を食べるのが気持ちいい!」ってなってしまう。そこで「それって本当に気持ちがいい?」と疑ってみる。すると「このまま歯を磨いてお風呂に入ったほうが気持ちがいい〜!」って浮かんでくる。そして、いつもだったらスナック菓子を食べながらダラダラと動画を見て時間が経ってしまって、慌ててシャワーを浴びて寝るところを、ストレートにお風呂にゆっくり入ってみると「気持ちがいい〜!」ってなる。あぶな〜い!スナック菓子の方が「やる気ブレーキ」だったんだ!とちょっとショックを受けちゃう。だってスナック菓子が「気持ちいい」って疑いを持ったことがなかったから。確かに食べた後にものすごい罪悪感が湧いてくるから。そして、寝起きがめちゃくちゃ不快なのよね。
私のやる気ブレーキは、たくさんの「気持ちいい!」を阻止しているみたい。それがわかってきたら逆に「気持ちいい!」を探すのが楽しくなってきます。意外なところに「気持ちがいい!」が隠れている。そして「気持ちがいい!」にはやる気ブレーキがかかっているから逆にわかりやすい。やる気ブレーキがかかっている裏に本当の「気持ちがいい!」が隠れていて、それを選択していくことで心が安らぎ、そして私の脳が回復していきます。