GABA受容体を復活させる三つの快感の一つである「一体感」は0−1歳の時にお母さんから抱きしめられて「安心!」という体験から得られます。その時期に外側手綱核が発達するので「一体感は気持ちがいい!」となって、成長しても「一体感の気持ち良さ!」を感じられる(ナラティブで書いています)。その時期に赤ちゃんが放置されてしまうと「一体感の気持ち良さ!」は感じられなくなって、人と一緒にいるだけで「社会的苦痛」を感じるようになってしまう。それは「お母さんから抱きしめられて安心」でGABAが働いてグルタミン酸の神経の興奮を鎮めることができます。

抱きしめられなかった場合はグルタミン酸の神経の興奮を自分でGABAを酷使して抑えなければならなくなります。お母さんから抱きしめられずにGABAを酷使してしまった結果、GABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまい、外側手綱核のグルタミン酸の神経の興奮が鎮まらないから「社会的苦痛!」を感じることになる。

0−1歳の時にお母さんから抱きしめられた人は、GABA受容体がちゃんと働いているから「仲間と一体感が感じられて楽しい!」と感じられます。私の場合はGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているから、仲間との一体感は感じられずに「社会的苦痛」を感じてしまって「早くおうちに帰りたい!」になってしまう。


私の認識は「人と一緒にいると緊張して本来の自分のままでいられない」というような対人緊張や対人恐怖があると思っています。さらに人といるとグルタミン酸の興奮が静まらずに緊張してしまい「思うように喋れない」などのコミュニケーション障害もあります。人から注目をされてしまうと、緊張して思うようなパフォーマンスを発揮できなくなる。だから、ひたすら人を避けなければいけなくなりますが「孤独」に苛まれて何もやる気がない、という鬱状態になってしまうわけです。


そんな時にダウンレギュレーションを起こしてしまった外側手綱核のGABA受容体を復活させる、ということをしちゃえばいい。GABA受容体は情報の流暢さを欠くことでダウンレギュレーションを起こしてしまいますが、情報の流暢さがあれば「気持ちいい!」と感じられてGABA受容体が復活しちゃう(ナラティブで書いています)。外側手綱核のGABA受容体を復活させるには「一体感は気持ち良い!」って感じること。ここでの矛盾は、そもそもGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているのだから、一体感の気持ち良さなんて感じるわけがない、ということですね。

一体感でGABA受容体が元に戻って、人前でも本来の自分らしく生きられる、ということが頭で分かっていても、GABA受容体は壊れているから、周りに人がいる場合はどうしても外側手綱核のグルタミン酸の興奮が静まらないから「みんな敵」と認識してしまって「一体感なんて得られるわけがない!」になる。


ここでイエス・キリストの面白い言葉がGABAの復活に役に立ちます(イエスだけに「復活!」に役立つって😆)。イエスは「隣人を自分のように愛しなさい」と言いました。

ここで情報の流暢さを優先にすると「どんな人と会話をする時でも、自分が相手の立場に立って言って欲しいことを相手に言ってあげるとGABA受容体が復活して本来の姿に戻れるよ!」になる。

イエスのすごいところは「相手が求めていることをしてあげなさい」と言っていないこと。もし「相手が求めていること」を考えてしまったら、推測脳(側頭頭頂接合部)が働いてしまうから、相手から「余計なお世話!」と不快な感情が返ってきます。「自分のように愛しなさい」というのは「自分を相手の立場に置く」ということ。「相手の気持ちを考える」と「自分を相手の立場に置く」は全然違っていて、後者の方は共感脳(外側前頭葉)を使っていて「気持ち良い!」が感じられちゃう。


相手の立場に立ってみて、自分が本当に言って欲しい言葉を言ってあげた時に「気持ちがいい!」が感じられるのは、そこに情報の流暢さがあるから。その情報の流暢さでGABA受容体が復活していき、本来の自分に戻っていく。私はずっと「なんで相手の立場に立って自分が言って欲しいような言葉がけを相手にして相手を気持ち良くさせなきゃいけないんだ!」と反発してきました。

なぜなら、それが相手のためじゃなくて、自分のためであることを知らなかったから。もっと言えば私の外側手綱核のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていたから「なんで私の敵を気持ち良くさせなきゃならないの!」となってしまっていたのよね。GABA受容体が復活してくると、情報の流暢さを取り戻していろんな仕組みが見えてきて楽しくなってきます(全てナラティブで書いています)。