本を読んで「一体感」の快感でGABA受容体が復活する(ナラティブで書いています)。

本を読んでいる時に、私のこれまでの経験や考え方を全て捨てて「著者と一体」になった時に情報の流暢さが得られて、そこに美しさが見出せます。そこに美しさが見出せた時点で私のダウンレギュレーションを起こしていたGABA受容体は復活して「気持ちいい!」を選択できるようになっていきます。


本を読んでスッキリしても私はまた「ドロドロの世界に落ちていく」という感覚になる。せっかく本を読んでスッキリしたのに、私はすぐにまた薄汚れた気持ちになってしまうのは、周りの人の気持ちを考えることで、情報の流暢さを失うから。推測脳(側頭頭頂接合部)を使って、人の気持ちを推測してしまうと、それまでの私の不快な経験などが推測に反映されて「どんどん情報が複雑になって醜くなる」でGABA受容体が再びダウンレギュレーションを起こしてしまう。


そこで「人は一冊の本」というナラティブを使います。本を読んでいる時に「こんな展開になるんじゃないかな?」」と推測するけど「あれ?私が思っていた展開とは全然違っている!」となるときに、推測脳のスイッチがオフになり、作者に身を委ねて一体感が得られる。


人に対しても「人は一冊の本」としてみると、相手の言葉を間に受けなくなる。相手の言葉を間に受けている時は、推測脳がバリバリ働いているのよね。人もまた本のように「展開は読まないとわからない」としてみると、相手に全てを任せて、一冊の本に見立てた相手の人生を楽しむことができます。この時に必要なのは「優越感」なんですよね〜。


そもそもGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていたら、情報の流暢さに欠けてしまうので「醜いものしか見えてこない!」となります。そこで優越感を使ってGABA受容体をちょっとだけ復活させておくと「人は一冊の本」にした時に「人の人生って楽しい!」で「一体感」が得られてGABA受容体がさらに復活して人生が美味しい展開になっていく。


でも、GABA受容体がダウンレギュレーションを起こしている人は「優越感は醜い」という認識をしてしまう傾向があります。優越感は、周りの人を蔑んで得るもの、という勘違いをしてしまうから。「あの人よりも、私の方が優れている」と言うのが「優越感!」であるが一般的な認識なんですよね。


私は子供の頃から劣等感の塊が歩いているような感覚でした。いつも醜くて汚くて、そして誰からも好かれない存在で何もまともにやり遂げることができない存在である、と思って生きてきました。でも、この私の劣等感の構造が面白いんですよね。「劣等感」だけだと思いますでしょ。ラットの実験で「右に曲がると美味しい水」で「左に曲がると行き止まり」という迷路で、ラットの脳内では「左に曲がると行き止まり」のニューロンも同時に興奮していてGABAが「左に曲がる」の興奮を鎮めるから「右に曲がる」が選択できる。


「劣等感」があったら「優越感」のニューロンも私の脳内では同時に興奮しています。そして本来だったら「劣等感」のニューロンの興奮をGABAが鎮めて「優越感」を選択できて「気持ちいい!」で楽しく行動できるようになります。でも、私のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているので「劣等感」と「優越感」がどちらも興奮してしまっている、となってしまう。だから私は「劣等感でいっぱい」と言いながら「本当は、私は誰よりも優れている」という感覚がある。


そして私の優越感と劣等感が同時に興奮しているので「頭の中で人へのダメ出しが止まらない!」ってなってしまうわけです。「劣等感」だけだったら人へのダメ出しなんて浮かんでこないはずなんです。「劣等感」と「優越感」の二つが同時に興奮しているから「人や自分に対してのダメ出しばかりで何もできない子!」になっていたのよね。このGABA受容体のダウンレギュレーションを修復してくださったのが催眠のお師匠さんでした。今、振り返ってみるとあの方はすごいことされていた。