「催眠の先生の“たった一言”で、私の劣等感が消えた」
今、振り返ってみるとお師匠さんの催眠の講座の私の態度は面白いんです。
私が「劣等感まみれ」と思っているのだったら、素人さんの中で唯一の専門家畑で働いている人、で「そこで学んでいたら劣等感が解消されるじゃない!」となるはず。
私の「気持ちいい!」を選択するためのGABA受容体が壊れているから、「不快」を選んで「講座に参加するのをやめます」というのがいつもの私のパターン。
でも、なんで私は「素人さんの中では学べない?」と思ったのか。それは私の自己評価が「他者依存である」ということが関係してきます。
この「他者依存」というのは、私が「優れた人」と思う人に評価されて「あぁ!私って存在していいんだ」と感じられる、となっています。「素晴らしい先生!」という人から認められたり褒められたりして、初めて「私は私でいいんだ」と思える感じ。
だから、私がお師匠さんの催眠講座に参加した時に「専門家の参加者と一緒に学んでみんなから受け入れられて認められたら、私の劣等感は解消される」と思っていたわけです。
素人さんから認められたって「何にも嬉しくないし、私の劣等感は解消されない」と思ってしまうのは、私の自己肯定感は完全に他者依存になっているから。
もうちょっと掘り下げて書いてみると、私が誇れるのは「専門分野だけ」なんです。その専門分野のことを理解できるのは専門家のみ、と私は思い込んでいる。
でも、これって「優れた人にしか私の真価を理解してもらえない」ということの現れで「そんな優れた人がいないから私の劣等感は解消されない」ということになってしまう。
これが私の中の「劣等感」と「優越感」の両方がGABA受容体のダウンレギュレーションによって興奮している中途半端な状態になります。だから「素人さんになんて私の真価がわかるわけがない」と私は失望する。
そこにお師匠さんが「大嶋さんは若くして5人のお子さんを育てている苦労人なんです」というカウンターを入れます。現在31歳の私は、当時二十代でしたから、講座の参加者は「二十代の外見なのに5人の子供を抱えて苦労して仕事をなさっている」という素人さんにもわかる「優れた人にしかわかってもらえない私の真価」をお師匠さんは1発で作り出してしまったわけです。
子供が一人や二人だったら誰にでもわかる感じの苦労なのですが、5人ともなると「その苦労はその外見からは想像できない!」となる。すると参加者の皆さんは「おぉ!大嶋さんって見てくれと違ってすごい苦労人なんだ」と尊敬してくれて、認めてくださる。それが見事に私が求めていた「優れた人のみしか私の隠れた才能をわかってくれない」という感覚と合致するわけです。
「考えられないような苦悩を抱えながら生き抜いてきた価値」のことなのですから。それがお師匠さんのナラティブ(物語)によって生み出されていた。
ここが一番大切なポイントになんです。
なぜ、私が「優れた人から認められないと劣等感が解消されない」と思っているのかというと、「誰から見てもすごいという証拠が欲しい」と思っているから。
この世の中で通用する常識的な「優れている」という証拠が必要と思っていた。
だから私は常に、周りの優秀な人や先生などに「私ってどうですか?」という質問をしていました。すると、必ずと言っていいほどダメ出しが返ってきて「あぁ〜あ!やっぱり私はダメだ〜!」と劣等感がさらに強くなっていた。まあ、劣等感が強くなればなるほど「優越感」も同時に強くなるのはGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているからなんですけどね。強くなる「劣等感」によって、さらに強くなる「優越感」が「優れた人にしかわからない私の真価」になる。
そんな私の「優越感」を催眠のお師匠さんは一言のナラティブで簡単に満たしてしまった。
「大嶋さんが求めていたのってこれでしょ!」って催眠のお師匠さんがナラティブで簡単に叶えてしまった。
そして、次の瞬間、私は無意識の中で「他者評価に依存することもナラティブなんだ」と気づいてしまいます(私は意識的には気づいていません。実際に起きているのは「劣等感」という不快感に対してお師匠さんのナラティブでGABAが働いて抑制をかけて「優越感」の快感を感じていた。「劣等感」の不快の元は「他者評価依存」になっていたから)。
お師匠さんのナラティブによって「他者評価もナラティブなんだ」と気づいた時に、私の中では他者報酬に依存しない内的報酬回路が安定してきます。
私の内的報酬回路がGABA受容体の復活によって回復すると、「私っていいじゃん!」と優越感の快感を感じてさらにGABA受容体が元に戻って「気持ちがいい!」という方向に進むことができるようになります。