「他の人に認めてもらいたい」というのが「他者評価」になります。

私は子供の頃から常に「人が私のことをどう思っているのかが気になる!」となっていて「私のことどう思う?」と聞いてしまう。 すると相手からはものすごい酷評されて、傷ついて劣等感に苛まれる。 私は人のことを「頭がいいな〜!」とか「かっこいいな!」や「素敵だな」などとしか思っていない。 そもそも子供の頃から宗教の教えで「人のことを悪く思ったら罪で地獄に落ちる」と言われてきたので、人のことを悪く思えないハンディーもあったな〜。 だから、人はみんな周りの人のことを好意的に思っている、と思っていた。


でも、ここでも大いなる矛盾があるのよね。 それは、宗教の達人である親からダメ出ししかされていない、ということ。 「汚い」とか「醜い」や「気持ち悪い」と言われてきた。

私がそんなことを他の子供に対して言ったら親はものすごい怒るくせに、親は私に対して「気持ち悪い」と言っていた。 私はそんな親のことも悪く言えません。 両親のことを悪く思ったら地獄ですからね。


親からもダメ出しをされて、周囲からも酷評される。 それで私の劣等感が強化されればされるほど、その対極にある優越感も劣等感と同等に強化されてしまいます。

「私のことをどう思う?」と他者評価を気にしてしまうのは「劣等感」の対極にある「優越感」が同等に強化されているため。

私の意識では「醜いし、汚いし、頭が悪い」と思っているのに、どうして人からの評価を気にしてしまうの?と思うけど、それがGABA受容体のダウンレギュレーションによって強化された「優越感」のせいなんです。 「何もないけど、優れたものを持っていて、優れた人にそれを見出してもらえる」という感覚になる。 だから、常に周りの視線を気にしてしまう。


そう!私は「外に出るのが怖い」と思っているのは「劣等感」でみんなから蔑まれた目で見られるから。

でも、劣等感だけだったら「みんなから蔑まれる」という視線になれるはず。 「なんでそんな蔑んだ目で見るんだよ!」と怒りや嫌悪感が湧くのは、私の中の「優越感」がGABAのダウンレギュレーションで活発になるから「蔑む目がむかつく!」って怒りが湧く。 私の中で怒りが湧いても「私は劣等感を感じている」という前提があるから「怒り」を「恐怖」と錯覚して「私は人に怯えている」となってしまうわけです。


ここで注目したいのは「他者評価」。 人は他人のことをちゃんと評価することができるのでしょうか。

ここが一番面白いところ!なぜなら、GABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていれば情報の流暢さがないから、目の前にあるものに対して美しさを見出すことができなくなる。

相手の中に美しさを見出すことができる人は、GABAがちゃんと機能していて「気持ちいい!」方向に注目を向けられる。

他人の中に「美しさ」を見出すことができる人は情報の流暢さでGABA受容体がどんどん復活していくから「さらに自分の中に美しさを見出すことができる」となるわけです。


催眠のお師匠さんには情報の流暢さがあった。 私はそれに触れた瞬間に「美しい!」と感動し、私の中で壊れていたGABA受容体が復活して「優越感」という快感に浸ることができた。

GABA受容体が復活した優越感は、人を見下す、蔑む視点がなくなります。 なぜなら、それらの視点には情報の流暢さがないから。


情報の流暢さがあると、美しい方にしか目が向かなくなるのよね。 「私はお師匠さんのこの技を誰よりも理解している」という自分の中に美しさを見る優越感。

この「誰よりも」というのは「ナラティブでいい!」がお師匠さんの技ですね。 どんな手段を使っても、そこに美しさを見出すことができればGABA受容体は復活していき、そこに存在している最も大切なものを受け取ることができるから。


そこに存在している最も大切なものを受け取った時に、さらに優越感や、それを一緒に受け取った人と共に「一体感」を感じることで、もっと、さらに、どんどん、GABA受容体が復活していき本来の自分へと戻っていき心が安らいでいきます。