「なぜ人は、好きな人ほど憎まれ口を叩いてしまうのか」
タクシーに乗っている時に、運転士さんのブレーキの掛け方が気になってしまいます。「なんで、ここでブレーキを踏む必要があるかな〜」って不快な気持ちになってしまう。
そして、自分で車を運転している時に「あれ?私もタクシーの運ちゃんと同じようなことをやっているかも!」と気づいてちょっと恥ずかしくなる。
そして私は恥ずかしさを感じながらも「おぉ!ここでブレーキじゃなくてアクセルを踏めばカーブがスムーズに曲がれるんだ!」と気づく。
人の運転から学習して、私は運転をするのが楽しくなってきます。
「やる気ブレーキ」も同じなのかもしれません。人を見ていると「おぉ!素直に感謝とか褒め言葉が受け取れない」となっていて、私は「素直に受け取ればいいじゃん!」と心の中で思っている。
でも、私自身のことを振り返ってみると「あはは〜!全然褒め言葉とか感謝とか受け取れないじゃない!」と運転同様に恥ずかしくなる。
私も同じことをやっているな〜!と気づくと「やる気ブレーキ」の掛け方が変わってきます。
そう、私は褒められているのに、相手に嫌味を言ってしまったりしていた。
「なんで相手が褒めているのに嫌味を言うの?」と自分でも振り返るとびっくりしちゃうけど、それがやる気ブレーキなんですよね。
「褒め言葉(報酬)」に「罰」が条件づけられているから「褒めた相手が不快になって嫌われるようなことを言ってしまう!」ですね。
そんなことあるんかい!と私自身も思うのですが、子供の頃、好きな子に対して意地悪をする、と言うのがそれと同じこと。
「好きな子と仲良くなる(報酬)」に対して「罰」が条件づけられているから「やる気ブレーキ」を思いっきり踏んでしまって「好きな子に意地悪なことを言う」をやってしまうわけです。
自分がやっている時は、全く気づかないのよね。でも、人がやっているのをみると「あぁ〜!やる気ブレーキがかかっている!」って見えてくる。
他の人のやる気ブレーキに気づいてみると、私自身のやる気ブレーキの掛け方が変わってきて、運転が楽しめるようになる。
嫌味を言ってくるような人、憎まれ口を叩く人を見たときに、タクシーの運転士さんの運転に違和感を覚えるような感じで「なんでそこでやる気ブレーキをかけるかな〜」と気づく。
すると、私も同じことをやっているかも!と普段の生活の中のたくさんのやる気ブレーキに気付けちゃう。
ここでやる気ブレーキがかかっていたから生活がスムーズじゃなかったのね、と言うことが見えてきます。
そう、私は家族のことを褒められなくて、嫌味や憎まれ口ばかり叩いてしまう。最近では、私の弟さんに対して「うわ〜!どうしてそんな嫌味を言ってしまうかな!」とやる気ブレーキがかかっていることに気づくことができました。気づくことができたのは、他の人が嫌味を言うのを聞いていて「やる気ブレーキ」に気づいたから。
そして、私が弟さんに接している時に「おぉ!同じことをしていた!」と気づくことができちゃう。
私のやる気ブレーキがかかって嫌味や憎まれ口を叩きたくなるってことは、相手が「大切な存在(報酬)」に「罰」が条件づけられているから。
これって好きな子に意地悪をしちゃうのと同じなんだな〜。そんなことに気づいてみるとちょっと恥ずかしくなる。
確かに、嫌味とか憎まれ口を取り除いてみたら私にとって弟さんは尊敬できる存在で、その生き方を羨ましいと思っていた。
弟さんに嫉妬して憎まれ口や嫌味を言っているのか、と思っていたけど違っていて、それが私の「やる気ブレーキ」だった。
確かに弟さんと仲良く楽しむと思ったら、ものすごく恥ずかしい気持ちになる。
それは私があのお店の店員さんから褒められたことを聞かされた時と一緒の感覚で「おぉ!やっぱりやる気ブレーキだった!」とわかるわけです。
「仲良く楽しむ(報酬)」に罰が条件づけられているから、やる気ブレーキがかかって憎まれ口を叩いていた。
人の運転からそんな自分の運転の特徴が見えてきて、いつの間にか運転するのが楽しくなって、心が安らいでいきます。