「『なんで私だけ不幸?』と思ってしまう人の脳で起きていること」
私が外に出ると「なんで私だけがこんな不幸な目にあう!」となるんです。
今朝も外に出たら、スマホを見ながら歩いているお兄ちゃんが角から曲がってきて、ぶつかりそうになって避けたら睨まれた(なんでねん!)。
道を走っていたら、自転車のお姉ちゃんがものすごいスピードで前から突っ込んできて、慌てて避けたら、避けた方にお姉ちゃんがハドルを切ってくる。
先日は、食事にったら「あれ?いつまで経っても私が注文したものが来ないね!」と思っていたら「注文が入っていませんでした!」と私のだけ無視されていた(どうして〜〜!)。
みんな同じサラダを頼んでいるのに、私だけイキのいい芋虫ちゃんがトッピングされていた(ギャ〜!)。
それを店員さん伝えたら「それが何か?」という態度を取られて「取り替えますか?」と言われたが、どうせトッピングを外すだけだろう、と思ってその場を去ることになる。
他のお客さんはなんともなくて、みんな楽しそうに食事をしているのに、どうして私だけ!となるから不思議。
この現象も「やる気ブレーキ」が関係している可能性があるんです。
え?それってやる気ブレーキで私が不幸を選択しているんですか?と言うのとは違います。
「やる気ブレーキ」は「報酬(いいこと!)」に「罰」が条件づけられているから「報酬」の方に進めなくなります。
だから、私の中で「いいこと(報酬)」が起きていてもやる気ブレーキで「記憶に残らない!」となっているわけです。
そう、やる気ブレーキで「褒められても素直に受け取れない」となります。
それと同じで「いいことがあっても受け取れない」で記憶に残らない。
そして「罰(不幸なこと)」しか頭に残っていないから「なんで私だけこんなに不幸なめにあうの!」という認識に私はなってしまう。
「罰」だけが私の記憶に残ってしまって「なんでこんな不幸な目にあうの!」と不快な記憶を頭の中で巡らせていると情報の流暢さがかけてしまうからGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまいます。
すると「報酬」と「罰」を選択する場面で私の脳内では両方とも神経が興奮してしまい、瞬時に「報酬」を選択することができない。
そして、私は迷って「報酬」のチャンスを逃して「あ〜あ!また不幸な目にあった!」ってなる繰り返し。
そして「あの時!あれをしておけばよかった!」って私は後悔するけど、それをすればするほどGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしちゃう悪循環。
私は「後悔すれば次には学習されて同じ不幸を未然に防げる」と思っているけど、残念ながらGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまうので「学習されずに同じことを繰り返す」となっています。
このやる気ブレーキの悪夢の無限ループから脱出するには「悪徳の快楽」が必要になります。
「悪徳の快楽」を使うと「あれ?私だけ不幸な目にあっていると思っているけど、もしかしてみんな同じ?」と言うことが見えてきます。
情報の流暢さがある人は美しさを兼ね備えているから、接触しても「不快」にはならないわけです。
「不快」と感じる人は情報の流暢さがないからやる気ブレーキが思いっきりかかっている(ナラティブで書いています)。
周りには不快な人しかいない、と思ったら「みんなやる気ブレーキがかかっている人たち」になるわけです。
そしてその人たちはみんな「私だけ不幸な目にあっている」と思っている。
そして、みんなそこから抜け出すことができない、と信じている。
みんな外見や態度はそんなふうには見えないのですけどね。
「悪徳の快楽」を使うと、それまで見えなかったことが見えるようになって、感じられなかったものが感じられるようになり、それが「気持ちいい!」につながってGABA受容体が復活していきます。GABA受容体が復活すると、さらに情報の流暢さが増して「みんなやる気ブレーキがかかっているだけなんだ!」という面白い仕組みが見えてきて、楽しさが増していきます。
そして「あれ?自分だけこんなにチャンスを掴んで大丈夫?」ということを感じながらもしっかりとチャンスを握りしめて、心が安らいでいきます。
P.S
この悪徳の快楽の詳細はブログでは書けないので、感謝祭の時にお話しさせていただきます。この「悪徳の快楽」の元ネタはミルトン・エリクソン博士です。そして、やる気ブレーキを植え付けられる時期が5、6歳のエディプスコンプレックスの時期なんですね。ここまで書いたらわかる人はわかりますね(危な〜い!)。