人の幸せはわかるのに、自分の幸せはわからない理由
このやる気ブレーキってものすごく面白い。
なぜなら、他の人のことだったら「こうすればいいのに!」って幸せの方向がわかるのに、自分のことになると「そんなの無理!」ってものすごいブレーキがかかる。
このやる気ブレーキはものすごく厄介で「自分の幸せが見えない!」ってなってしまう。 だから「こうすれば幸せになる」って自分では見えてこないし、実行できない。
友達の夫婦がいて、旦那が「奥さん最近冷たくなって」と相談された時に「花を買っていけよ!」ってすぐに出てくるのよね。 でも、私が感謝している相手に花を贈る、と考えた時に「恥ずかしい!」とか「買いに行くタイミングがない!」などと考えてしまうのは「やる気ブレーキ」がかかってしまうから。 友達の話を聞いて初めて「花を買うと幸せな気分になるんだ!」とわかるのですが、私自身の日常では全くそんなアイディアが出てこない。 花屋の前を通った時に「うわ〜!綺麗!」って素直に感動することが「幸せ!」なんでしょうけど、やる気ブレーキがかかっている私は「うわ!花束高い!」って値段を見て花の美しさに注目することができなくなる。
観光客が桜の前でスマホを使ってセルフィーを撮っているのを見て「インスタにあげる写真ばっかり撮っていて花を見て感動しないのかな?」と思うわけです。 でも、自分自身のことを振り返ってみると「誰がそれをいうか!」となるわけです。 「あんた!美しい花を見て感動している?」と言われると「あはは〜!」と誤魔化し笑いしか出てこない。
私のやる気ブレーキで「美しい」とか「楽しい」そして「幸せ」と感じることがものすごく難しくなっている。 万が一、それを感じたとしても、それはやる気ブレーキで記憶から消されてしまって「不快な記憶しか残っていない!」ってなるのよね。
私の場合、やる気ブレーキが重症だな、とわかるのは、人から「こうすればいいじゃない!」と「幸せ」になるためのアドバイスとかをもらったりすると「そんなのわかっている!」とイラッとしてしまう。 「わかっているんだったらやりなよ!」と言われるのですが「わかっているけどできないんだ!」ということがどうしてわかってくれないんだ!とブチギレそうになる(あはは〜!本当に重症だ〜!)。
やる気ブレーキの威力ってすごいのよね。 「そんなのわかっている!」というけど「それができない!」って幸せの方向に絶対に進めない。
友達から「大人なんだからもっとちゃんとした服を着なよ!」と言われるのは「そうした方が人から見下されることがなくなって、尊敬されるよ!」ということ。 私はそれを聞いて「そうだね」というけど、心の中では「あんたと稼ぎが違っていて服を買うお金がないんだよ!」と全否定しているのは、私のやる気ブレーキのせい。 「綺麗な服が欲しければ買えばいいじゃん!」と友達に言われるけど「そんなの買ったって幸せにはなれない!」って思って全否定してしまうのがやる気ブレーキのせい。
自分では「素直じゃない!」とか「他人のアドバイスを無にする」などと思っているけど、実際は「幸せ」の方向に進むアドバイスに対して「やる気ブレーキ」がかかるから「全否定しちゃう」になる。そして、アドバイスをした相手に対して「私のことを見下している」とか「馬鹿にしている」などと思ってしまう。
そう、幸せになる方向を示してくれる相手が「敵」になってしまうのもまさに「やる気ブレーキ」になる。 そんな幸せの方向を示してくれる相手との関係をやる気ブレーキで私は切ってしまったな〜。
そんな私のやる気ブレーキを外す手っ取り早い方法が「悪徳の快楽」ですね。
まあ、多くの人は「快楽」という言葉を使うことに抵抗があると思います。 もちろん私もそうです。でも、それがやる気ブレーキがかかっている証拠だったりするんですよね。
「悪徳の快楽」という呪文を唱えることで、やる気ブレーキを外していきます。
「悪徳の快楽」って不快な場面で唱えてみると「あれ?こんな幸せの方向の抜け道があった!」って見えてくるから面白い。