「一体感」を唱えるのは「一体感」が人との関係で得られるためではありません。


その目的で唱えてしまうと「私は一体感が得られない」という「罰」になってしまうから。「一体感」に「罰」が条件づけられると「やる気ブレーキ」がかかってしまいます(全てナラティブで書いています)。


「一体感」唱えるのは外側手綱核のGABA受容体を復活させるため。

「一体感」という「快感」でGABA受容体は復活して「全てを委ねる」VS「全てを背負う」の選択で適切にGABAの抑制をかけてくれるようになります。GABAが適切に働くと「正しいor間違っている」に拘らなくなって「自由!」になる。


自由になると、いろんな人の話の中にいつの間にか入っていて「いいね!」とどんな話も楽しく聞けて、そして自分も相手に気遣うことなく適当に楽しく話せて「一体感!」が感じられちゃう。


楽しんで会話に参加していると「あれ?相手との距離が近すぎちゃうのでは?」と以前だったら心配していたけど「あれ?相手が適切な距離を空けてくれて全然不快にならない!」となるから面白い。


楽しく会話をしていく中で、相手がマウントを取ってきたり、嫌味を言ったり、嫉妬してきたりということがなくて「あれ?相手から尊敬されているかも」という感じになって、心地よい距離感がちゃんと保てる。そうか!以前は「相手の感情に責任を感じて背負う」をしちゃったから、相手がどんどんモンスター化していたんだ!と気づけちゃう。


「一体感」を唱えていたら、相手の感情に「良いor悪い」を自然とつけなくなって「全て相手にお任せ!」ができちゃうから「相手をリスペクト」していることになるのかも。相手もそのリスペクトを無意識で感じ取ってこちらをリスペクトしてくれるから、心地よい距離感になるんだ。


さらに「一体感」」を唱えていると「あれ?失敗を恐れなくなったかも!」と気づいたのは人との会話の中で「適当なことが言える」ようになったから。以前の私だったら「これを言ったら相手がどんな気持ちになるのか」と考えていたのは「相手の気持ちに責任を背負う」ということをやってしまうから。


発言する前に相手の反応を考えているのに、実際に言葉にしてみると「うわ!相手が私の発言で固まった!」となっていた。そして「また変なことを言っちゃった!」と後悔して、そして、しばらくするとそんな反応をした相手に怒りが湧いてきて、ということを繰り返す。だから「余計なことを言ったらまた失敗する」と失敗を恐れて会話に入っていけなかったけど、気にせずに話ができちゃう。


そして、失敗を恐れなくなると「あれ!会話が弾んで楽しいかも!」と他愛もない会話で一体感が感じられて、楽しくなってくる。相手の冗談もちゃんと冗談として笑って聞き流せちゃう。以前の私だったら「うわ!それって嫌味?」と相手の冗談を真に受けてしまって「私、この人になんか余計なことを言ったかしら?」と自分が会話の中でしてしまった失敗を振り返って「これかもしれない!」と後悔していたけど、それがなくなって「適当な会話!」という感じで失敗を恐れずに話をして、そして相手も私の会話を適当に聞き流してくれちゃう。


会話する時は、そこに何か意味がなければいけない、と思っていたけど「一体感」を唱えていたら「意味のない会話でいいんだ!」と気楽に適当なことが話せちゃう。その失敗を恐れず、肩の力が抜けた会話の中に「一体化」の気持ちよさが隠れていた。


そんな一体感を感じていくと、さらに周りの人たちに溶け込んでいき、ファッションを楽しむことも、美しさを追求することも楽しくなってきます。美しさを追求することを楽しんでいると「あぁ!以前の私は、私なんかがそんなことをしたら申し訳ないと思っていたな」と懐かしく思えちゃう。


美しさを追求する楽しみは、美しさを追求している人たちとの一体感が得られるからなんだ!と不思議な喜びが感じられるようになります。そんな喜びを感じていると心は安らぎ、本来の自分に戻っていきます。