なぜ人は、「優越感」を勘違いしてしまうのか
「優越感」を唱えるのは孤独脳である背側縫線核のGABA受容体を復活させるため。
背側縫線核では「他者評価」と「自己評価」の二極が葛藤しています。
「優越感」でGABA受容体が復活すると「他者評価」がGABAで抑制されて「自己評価」のニューロンが興奮します。
すると「ありのままの私で良い!」となるのよね。
そして唱え続けてGABA受容体が復活してくると「あれ?優越感のことを勘違いしていた!」ということに気づきます。
私は優越感を「あの人よりも優れている」と比較してのことだと思っていたわけです。
「優越感」を唱えて「他者評価」が抑制されると「人のことを蔑まなくても優越感は感じられて、それが気持ちいいんだ!」となる。
他人のダメなところには、情報の流暢さがありません(単純に美しくないということ)。
そう、脳内のGABA受容体は「美しい」とか「気持ちいい」で復活して「醜い」とか「不快」に注目し続けることでダウンレギュレーションを起こしてしまう(全てナラティブで書いています)。
そもそも「美しい」とか「気持ちいい!」に注目が向けられないのは「やる気ブレーキ」が掛かっているから。
だから2、3歳の時に背側縫線核のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまうと「やる気ブレーキで優越感が感じられなくてGABA受容体が復活しない」になってしまうんです。
でも実験で用いられるラットと違って人間には言葉があります。「一体感」という言葉で脳内のGABA受容体が復活して「他者評価」が抑制されて「自己評価」がちゃんと興奮して「ありのままの私ってすごい!」で優越感が得られるからさらにGABA受容体が復活して、という感じになっていきます。
面白いのは「優越感」を唱えていると「あれ?自分に対するダメ出しが減ってきた!」となること。
「また失敗した!」とか「なんで私はこんなことを気にするんだ!」などと常にダメ出しをしていたのは「他者評価」と「自己評価」の両方が興奮していたから。
「優越感」でGABA受容体が復活してくると「あれ?失敗が失敗じゃなくなってきた!」と冷静にただ淡々とやり直してリカバリーができちゃう。
そして「私ってちゃんと学習しているじゃない!」と誇らしく思えてくる。
それまでは「周りの人の下品さが気になる!」となっていたのに「優越感」を唱えてGABA受容体が復活してくると、そこに注目しなくなるというか眼中にない感じになる(眼中にない=無関心)。
人の話を聞いていても、以前だったら「この人私に嫌味を言っている」とか「マウントを取ってきてダメ出しをしている?」などと引っかかってしまっていたのが「あれ?スルーして話が頭に入ってこない!」ってなるのは「自己評価」だけがちゃんと興奮しているから。
「自己評価」だけが興奮していると相手の評価が気にならなくなるのよね。
「優越感」を唱えていると「あぁ!私って人の言葉をものすごく真に受けていたんだな〜」と気づけちゃう。
情報の流暢さがあることにしか興味がなくなって、どんどんシンプルになっていく。
人の言葉を真摯に受け止めて自分を正すことが最も大切、とこれまで思ってきたけど「優越感」を唱えていると「自分の中に真実ってあるんだな」ということが見えてくる。
そう、あえて「人の中に真実はない」って否定する必要がなくなるの。
なぜなら「他者評価」がちゃんと抑制されているから「人から認めてもらう」という必要がなくなるから。
シンプルに「私の中に真実があって、その真実を追求してみたい!」っていう感覚。
人の中に真実があるかも、とずっと探し求めていたのは「自己評価」と「他者評価」の両方が興奮して葛藤を起こしていたから(やっていたな〜!反発しながらも母親の言うことは絶対に真実だと思っていたからな〜)。
「優越感」を唱えていたら、ちゃんと「他者評価」が抑制されるようになるから「あれ?私がしたいことがわからないと思っていたけど、それってただ単に人目を気にしていたからなんだ!」と言うことがわかってきちゃう。
なぜなら「あれも!これもやってみたい!」って自分の中の真実を探究してみたくなってきたから。
私の真実である心の中の炎を興味があることをやって燃やし続け、それを眺めながら心が安らいでいく。
そして、私は本来の自分へ戻っていきます。