オリジナルと一体感のあいだで
私は小学校の頃、リコーダーを吹くときに、手が逆だったんです。
それでも、ある程度は弾けてしまう。だから最初は問題がないように見えるんですね。でも、シャープがついたり、少し複雑になると途端にうまくいかなくなる。
「うわ、最初は良かったのに…」と感じるような状態でした。
そして不思議なことに、先生も誰も、私の手が逆であることを指摘しなかった。
なぜかというと、“それなりにできてしまうから”なんです。ここに一つのヒントがある気がしています。
人は、ときに「自分オリジナルのやり方」で物事を処理してしまう。
これは一見、個性や創造性のようにも見えますが、もしかすると「一体感の欠如」と関係しているのではないか、と感じるのです。
私はこれを、外側手綱核(LHb)の過活動というナラティブで捉えています。
たとえば、自閉スペクトラムの子どもたちが「みんなと同じことをするのが苦手」と言われることがあります。
課題を出されても、言われた通りではなく、自分なりのやり方でやってしまう。
実はこれ、私自身もとてもよくわかる感覚です。
漢字の書き順や計算式でも、「なぜか自分オリジナルでやってしまう」ということがありました。
これを振り返ると、
- 「すべて委ねる(教科書通りにやる)」
- 「すべて自分で背負う(オリジナルでやる)」
この両極が、同時に興奮してしまっている状態だったのではないかと思うのです。
そして、その背景にはGABAのダウンレギュレーションがあるのではないか、という仮説です。
外側手綱核は、本来「社会的な苦痛」を感じる場所です。つまり、「みんなと同じことをやる」こと自体が苦痛になってしまう。
だから、自然とオリジナルのやり方に流れていく。
でも、GABAが回復してくると、ここが変わってきます。
「みんなと同じことをやる」ことが、 苦痛ではなく、むしろ“楽しい”ものに変わってくる。
さらにその先には、同じ風景を共有できることによって見えてくる、 より深い「美しさ」や「一体感」がある。
振り返ると、「みんなと同じことができない」というのは、私にとって“誇り”であり、同時に“悩み”でもありました。
独自の方向に進めることは強みでもある。
でも、「同じことを共有する楽しさ」は、そこにはなかった。
だからこそ思うのです。
もしGABAが回復し、一体感が生まれてきたとき、人は
- 同じことを楽しめるようになり
- さらにその先にある豊かさに気づいていく
そんな変化が起きるのではないか、と。
これはあくまで一つのナラティブです。
でも、この視点で見ていくと、
「できなかったこと」が
「これから開いていく可能性」に変わっていくような気がするんです。
面白いですよね。
これからどんな世界が見えてくるのか、楽しみです。