親を責めるためではない。情緒的ネグレクトは、こうして自分の中で繰り返される
今日は、「親はどうして情緒的ネグレクトをしてしまうのか」というテーマについて考えてみたいと思います。
この話は、「親が悪い」という話ではありません。
むしろ、もっと大切なのは、
「親が自分にしていたことを、今の自分が自分自身に繰り返していないだろうか」
という視点です。
◇ 「神に祈りなさい」で終わってしまった子どもの悲しみ
私の家は宗教のある家庭でした。
悲しいことがあると、
「神に祈りなさい。」
「神様に助けてもらいなさい。」
そう言われました。
親は本気で、それが一番良い方法だと思っていたのです。
だから責めるつもりはありません。
でも、子どもの私に必要だったのは、
祈ることの前に、
「悲しかったね。」
と気持ちを受け止めてもらうことだったのだと思います。
悲しみに寄り添われないまま育つと、
子どもは少しずつ自分の感情を切り離してしまいます。
これが情緒的ネグレクトであり、
やがてセルフネグレクトへとつながっていきます。
◇ 親にも抱えきれない感情がある
情緒的ネグレクトは、
親が子どもを嫌っているから起こるとは限りません。
例えば、
嫁姑の葛藤。
夫婦関係の葛藤。
配偶者への怒り。
こうした感情が十分に処理できないまま残っていると、
その怒りが子どもへ向かうことがあります。
私の家でもそうでした。
母の夫への怒りが、
第二子である私へ向かっていたのだと思います。
もちろん当時の私はそんなことは知りません。
だから、
「自分が悪いから怒られるんだ。」
と受け取ります。
すると、
悲しい、
寂しい、
怖い、
そんな感情は怒りによって押し消され、
自分でも感じられなくなっていくのです。
◇「きれいなお母さん」は幸せとは限らない
私の母は、とても容姿が整った人でした。
子どもの頃は、
「お前のお母さん、きれいでいいな。」
とよく言われました。
以前なら私は、
「きれいな母親はナルシシズムが強く、ネグレクトしやすい」
と単純に考えていたかもしれません。
でも今は違います。
美しい女性ほど、
幼い頃から性的な視線にさらされ、
同性から嫉妬を受け、
人間不信になってしまうことがあります。
そうした傷を抱えたまま親になると、
子どもの生き生きした感情や魅力を見ることが苦しくなることがあります。
女の子には、
「目立ってはいけない。」
「男性に見られてはいけない。」
という不安を投影してしまうかもしれません。
男の子には、
過去に傷つけられた男性像を重ねてしまうこともあります。
私自身も、
「男って気持ち悪い。」
という言葉を母から何度も聞きました。
今思えば、
それは私自身への評価ではなく、
母自身の心の傷から出ていた言葉だったのだと思います。
◇ 愛していてもネグレクトは起こる
もう一つ忘れてはいけないのが、
病気の子どもがいる家庭です。
重い病気の子どもの看病に追われる親は、
他の子どもも同じように愛しているつもりです。
でも現実には、
十分に関われない時間が増えます。
その罪悪感が積み重なると、
不思議なことが起こります。
本当は申し訳ないと思っているのに、
逆に嫌味を言ったり、
冷たく接したりしてしまうことがあるのです。
心理学では、
強い感情には反対方向の感情も同時に存在すると考えられます。
「かわいそう。」
と思うほど、
その反対側には、
「もう限界だ。」
「全部投げ出したい。」
という感情も生まれます。
それを認められないまま抱え続けると、
心は限界を超え、
破壊的な言動として現れてしまうことがあります。
◇ 一番大切なのは「今の自分」
ここまで読むと、
「親が悪かったんだ。」
と思うかもしれません。
でも、
私が一番伝えたいのはそこではありません。
本当に大切なのは、
今の自分が、自分自身に親と同じことをしていないか。
悲しいのに、
「そんなことで落ち込むな。」
と言っていないか。
苦しいのに、
「我慢しろ。」
と言っていないか。
寂しいのに、
「もっと頑張れ。」
と追い立てていないか。
もしそうなら、
親から受けた情緒的ネグレクトは、
今、自分自身の手で繰り返されているのかもしれません。
◇ 自分の感情に寄り添うことから始まる
回復は、
親を変えることから始まるのではありません。
まずは、
今の自分の感情に気づくことです。
「私は悲しい。」
「私は寂しい。」
「私は苦しかった。」
その感情を否定せず、
そのまま受け止めてあげる。
それだけで、
少しずつセルフネグレクトは終わり始めます。
親と同じように自分を扱うのではなく、
自分が自分の味方になってあげること。
そこから、本当の意味での回復が始まるのだと私は思っています。