こんにちは。

今日は、「最悪のことを想像してしまう」ということについて書いてみたいと思います。


私は昔から、何か嫌なことがあると、その先に起こる最悪の未来を想像してしまうところがあります。

一つのことがうまくいかない。

すると、

「このまま全部ダメになるかもしれない」

「仕事も失うかもしれない」

「誰もいなくなって、孤独になるかもしれない」

「もう二度とここから這い上がれないかもしれない」

そんなふうに、想像がどんどん最悪の方向へ進んでいくのです。

でも私は、これを自分を守るためにやっているのだと思っていました。



最悪を考えておけば、最悪を避けられる?

「転ばぬ先の杖」という言葉があります。

あらかじめ危険を想定しておけば、何かが起きたときに対処できる。


だから私は、最悪のことを考えるのは悪いことではないと思っていました。

むしろ、

「これ以上ひどいことにならないように、自分を奮い立たせているんだ」

「ちゃんと備えるために考えているんだ」

と思っていたのです。


ところが、セルフネグレクトについて書いているとき、ふと思いました。

これを親が子どもに毎日やっていたら、どうなのだろう?

「そんなことをしていたら、人生がダメになるよ」

「そのままでは誰からも相手にされなくなるよ」

「将来、大変なことになるよ」

「お前はきっと失敗するよ」

子どもの将来を心配しているからこそ、最悪の未来を毎日聞かせる。


それは本当に、子どもを守ることになるのでしょうか。

私はそこで、

「ああ、そういうことだったのか」

と思いました。

私は、自分自身に同じことをやっていたのです。



「厳しくすることが愛情」という記憶

思い返してみれば、私は子どもの頃から、最悪の未来について聞かされることがありました。

「そんなことをしていたら地獄に落ちる」

「そんなことを続けていたら大変な人生になる」

海外へ行けば、悪いことに巻き込まれるかもしれない。

道を外せば、とんでもない人間になってしまうかもしれない。

そんな未来を聞かされてきました。


もちろん、親としては子どもを不幸にしたかったわけではないのでしょう。

むしろ反対だったのだと思います。

子どもが失敗しないように。

危険な道へ進まないように。

人生を踏み外さないように。

だから、あえて最悪の未来を見せる。

甘やかすより、厳しくした方がこの子のためになる。

そこには、その人なりの愛情があったのかもしれません。


でも、受け取った子どもの心には、

「私はいつか、とんでもないことになるかもしれない」

という恐怖が残ることがあります。



褒めないことも教育だった

先日、親子の面接をしていたときのことです。

小学生のお子さんと話していて、

「頭がいいですね」

と私が言いました。

すると、隣にいたお母さんがすぐに、

「いやいや、そんなことないんです」

と否定しました。

私は一瞬、

「どうして否定するんだろう?」

と思いました。


でも、これも一つの教育観なのかもしれません。

褒めたら天狗になる。

調子に乗ったら努力しなくなる。

自信を持ちすぎたら、いつか痛い目に遭う。

だから、褒めすぎない。

むしろ厳しくする。

そうすることが、この子の将来のためになる。

そんな愛情の形があるのでしょう。


しかし、その教育を受けた子どもが大人になると、今度は自分自身に同じことを始めることがあります。

うまくいきそうになると、

「調子に乗るな」

と自分に言う。

少し幸せになると、

「この後、悪いことが起きるかもしれない」

と考える。

何かに挑戦しようとすると、

「失敗したらすべてを失うぞ」

と最悪の未来を見せる。

いつの間にか、自分自身が、自分に対して厳しい親の役割をしているのです。



本当に必要なのは「最悪の想定」なのだろうか

もちろん、現実的なリスクを考えることは必要です。

でも、

一つ嫌なことがあっただけで、

「このまますべてを失う」

「誰からも見捨てられる」

「もう二度と立ち直れない」

というところまで想像が進んでいるとしたら、

そこには別のものがあるのかもしれません。


私は最近、

「どうしてこんなに最悪の未来を考えているんだろう?」

と自分を見てみることがあります。

すると、

その前に傷ついている自分がいることに気づきます。

誰かの言葉に傷ついた。

思い通りにならなくて悲しかった。

大切なものを失いそうで怖かった。

誰にもわかってもらえないような気がして寂しかった。

そんな傷ついた心がある。


ところが私は、その心に寄り添う代わりに、

「このままだと、もっと大変なことになるぞ!」

と、さらに怖い話を聞かせていたのです。

傷ついて泣いている子どもに、

「泣いている場合じゃない。このままだと人生が終わるぞ」

と言っているようなものです。

私はそれを「自分を守ること」だと思っていました。



最悪の未来が見えたときに

最悪の未来が頭に浮かんだとき、

それを無理に消す必要はないのかもしれません。

「考えないようにしよう」

「ポジティブになろう」

と頑張る必要もありません。

ただ、

「ああ、私は今、傷ついているのかもしれない」

と気づいてみる。

私は悲しかった。

私は寂しかった。

私は怖かった。

私は傷ついた。

そこに気づいてあげる。

未来の最悪を防ぐために自分を脅すのではなく、

今ここで傷ついている自分に寄り添ってあげるのです。



自分を抱きしめるということ

セルフネグレクトとは、自分を放置することです。

それは食事をしないとか、病院へ行かないとか、部屋を片づけないということだけではないのかもしれません。

心が傷ついているのに、その傷を見ないこと。

悲しんでいるのに、

「もっと大変なことになるぞ」

と自分を脅すこと。

寂しがっているのに、

「そんなことで弱音を吐くな」

と自分を叱ること。

それもまた、自分の心を置き去りにすることなのかもしれません。


だから、

最悪の未来が見えたときには、

「未来に何が起きる?」

ではなく、

「今、私は何を感じている?」

と問いかけてみる。

すると、

未来の恐怖の奥に隠れていた、

悲しみや、

寂しさや、

痛みが見えてくることがあります。

その気持ちを、

ただ受け止めてあげる。

「怖かったね」

「悲しかったね」

「寂しかったね」

そうやって、自分の心を抱きしめてあげる。

すると、最悪の未来を想像して自分を守らなくてもよくなっていくのかもしれません。


セルフネグレクトから解放されるということは、

強い自分になることではなく、

傷ついた自分を置き去りにしなくなること

そんなところから、本来の自分へ戻る道が始まっていくような気がしています。