こんにちは。

今日も無意識の旅を始めていきます。


今日は、セルフネグレクトの「助け待ちタイプ」について書いてみたいと思います。


助け待ちタイプとは、やらなければならないことがあるのに、なかなか手をつけられず、そのまま放置してしまうタイプです。


外から見ると、

「誰かが助けてくれると思っているのではないか」

「依存心が強いから、自分でやらないのではないか」

と思われやすいかもしれません。


私自身も、ずっとそう考えていました。


◇ 私は依存心が強いから、動けないのだと思っていた

子どもの頃から、私はやらなければならないことを放置してしまうところがありました。


学校へ提出しなければならない書類が、いつまでもカバンの中に入ったままになっている。

宿題に手をつけない。

必要な準備を、ぎりぎりまでしない。


すると母親が私のカバンを開けて、

「何なの、これは」

と怒ります。


そして、

「誰かがやってくれると思っているんでしょう」

「あなたは依存心が強いから、いつまでもだらだらしているのよ」

と言われました。


私は、

「確かにそうなのかもしれない」

と思っていました。


自分は依存心が強い。

誰かに助けてもらえると思っているから、自分で動かない。

だから、やるべきことを放置してしまうのだ。


つい最近まで、そのように自分を解釈していたのです。


◇ でも、私は助けを求めたことがなかった

ところが、よく考えてみると不思議です。


私は人に、

「助けて」

と言ったことがほとんどありませんでした。


甘えることも苦手でした。


困っていても、自分で何とかしようとします。

助けてほしいと思っていても、それを口に出せません。


それなのに、なぜ「依存心が強い」と言われるのだろう。


その理由は、私が物事を放置していたからです。


自分でやらない。

いつまでも動かない。


その姿だけを見ると、誰かが代わりにしてくれるのを待っているように見えます。


けれど、心の中で起きていたことは、まったく違っていたのかもしれません。


◇ 痛みがあると、人は動けない

そこで、私はいつもの言葉を唱えてみました。


「私は、誰からも理解されない痛みを、ずっと抱えてきたんだ。」


そして、その痛みに心の手を添えてみます。


すると、

「ああ、私は依存心が強かったわけではないんだ」

という感覚が湧いてきました。


私は、ものすごい痛みを抱えていたのです。

痛みがあったから、動けなかった。


体に強い痛みがあるとき、人は立ち上がることができません。

歩くことも、考えることも難しくなります。


心の痛みも同じです。


外からは何も見えなくても、本人の中では動けないほどの苦痛がある。


私は怠けていたのではなく、痛みの中でうずくまっていたのかもしれません。


◇ 本当に苦しかったのは、誰にも助けてもらえないこと

では、何がそれほど痛かったのでしょう。


心の中を見ていくと、そこには、


「誰からも助けてもらえない痛み」


がありました。


助けを求めても、助けてもらえない。

苦しいと訴えても、わかってもらえない。


困っていても、

「自分でやりなさい」

「あなたは怠けている」

と責められてしまう。


その体験が、ものすごく苦痛だったのです。


だから、助けを求めることができなくなります。


どうせ頼んでも助けてもらえない。

どうせわかってもらえない。


それなら、最初から何も言わない。


けれど、自分一人では動けない。

そのまま、やるべきことを放置してしまうのです。


◇ 助けを待っているのではなく、助けられなかった痛みで止まっていた

一見すると、これは矛盾しているように見えます。


誰かが助けてくれると思っているから、何もしない。

けれど実際には、誰にも助けてもらえないと思っているから、助けを求められない。


そして、一人では動けないまま止まってしまう。


外から見れば、

「助けを待っている」

ように見えます。


しかし本人の中では、

「助けてもらえなかった痛み」

によって動けなくなっているのです。


痛みは、ときにこのような矛盾を生みます。


本人にとっては矛盾ではありません。

ただ、痛くて動けないのです。


◇ 動けない自分を責めるほど、さらに動けなくなる

やらなければならないのに、できない。


すると私は、自分を責めます。

「どうしてすぐにやらないんだ」

「私はだらしない」

「やっぱり依存心が強いんだ」


けれど、痛みで動けない人を叱っても、立ち上がれるようにはなりません。


むしろ、

「こんな自分は誰にも理解されない」

という痛みがさらに強くなります。


そして、ますます動けなくなってしまう。


必要だったのは、叱ることではありませんでした。


「痛かったんだね」


と、わかってあげることだったのです。


◇ 転んで泣いている幼い自分

心の手を痛みに添えていると、転んで泣いている幼い自分の姿が浮かんできます。


膝を擦りむいて、地面に座り込み、泣きじゃくっています。


けれど、誰も手を差し伸べてくれません。


「そのくらいで泣くな」

「自分で立ちなさい」

と言われているような気がします。


幼い私は、立ち上がることができません。


痛いからです。

怖いからです。


また転んだら、今度も誰にも助けてもらえないと思っているからです。


そこで、今の私がその子の前にしゃがみます。

そして、そっと手を差し伸べます。


「痛かったね」

「怖かったね」

「もう大丈夫だよ」


すると、幼い自分がその手を取ります。


「転んでも大丈夫。ここに私がいるから」


手を取った幼い自分は、ゆっくりと立ち上がります。


涙を拭いて、また走り始めます。


最初は慎重に。

やがて、元気にのびのびと走っていきます。


その姿を見ながら、私は思います。


「転んでも大丈夫」

「今度は、ここに私がいるから」


転ばないように生きる必要はありません。


失敗しないように、何も始めない必要もありません。


困ったときには、自分が自分を助けてあげられる。


痛いときには、自分がその痛みをわかってあげられる。


そう思えると、少しずつ動けるようになります。


◇ 助けを求められる自分に戻っていく

セルフネグレクトから回復するとは、何でも一人でできるようになることではありません。


必要なときに、

「助けてください」

と言えることでもあります。


そして、誰かが助けてくれなかったとしても、

「自分の苦しみが間違っているわけではない」

とわかっていられることです。


まずは、自分自身が自分の助けになります。


動けない自分を責めるのではなく、痛みに手を差し伸べる。


すると、止まっていた幼い自分が立ち上がります。


転んでも大丈夫。

失敗しても大丈夫。


ここには、私がいる。


その安心感が、私たちをもう一度、人生の中へ走り出させてくれるのだと思います。


また無意識の旅でお会いしましょう。