こんにちは。

今日も無意識の旅を始めていきます。


私は相撲を見るのが好きです。

応援している力士が土俵に上がると、本当なら素直に、

「頑張れ!」

と応援すればいいはずです。

ところが私は、なかなかそれができません。


「この相手には負けるだろうな」

「さすがに次は無理だろう」

そんなことばかり考えてしまいます。

そして、応援している力士が勝つと、

「うわ、勝った!」

と飛び上がるほど嬉しくなる。

でも、次の瞬間にはまた、

「今度こそ負けるだろう」

と考え始めるのです。


◇私が応援すると負ける

相撲だけではありません。

野球でも、サッカーでも、

「私が応援すると負ける」

という感覚がありました。

もちろん、私がテレビの前で応援したからといって、試合の結果が変わるわけではありません。

頭ではわかっています。

それでも、

「私が期待したから負けた」

「私が応援したからダメになった」

そんな感覚が湧いてきます。

だから最初から期待しない。

「どうせ負ける」

と思って見ている。

そのほうが、負けたときのショックが小さくて済むからです。


◇映画も見られなくなった

最近は、映画を見ることも難しくなっていました。

物語の主人公が順調に進んでいる。

少しずつ希望が見えてくる。

ところが映画ですから、途中で必ず問題が起きます。

主人公が裏切られる。

大切なものを失う。

計画を邪魔される。

その兆候が少しでも見えてくると、

「うわ、もう無理」

となります。

そして、動画を止めてしまうのです。

今はサブスクリプションなので、ボタン一つで止められます。

その結果、途中まで見た映画ばかりが、どんどん増えていきます。


◇苦痛の場面を避けていた

私は、

「つらい場面に弱いから映画が見られない」

と思っていました。

あるいは、

「邪魔されることに耐えられない性格なのだ」

と考えていました。

何かを始めて、少しでも茶々が入る。

計画が少し狂う。

誰かに反対される。

すると、

「もういい!」

と全部を投げ出してしまう。

まるでちゃぶ台をひっくり返すように、そのこと自体をやめてしまうのです。

これが、セルフネグレクトの「邪魔される恐怖タイプ」なのかもしれません。


◇「邪魔されるのが痛い」では足りなかった

なぜ私は、これほど邪魔されることを怖がるのだろう。

それは簡単です。

「邪魔されると苦痛だから」

そう考えました。

ところが、

「私は邪魔されることで苦痛を感じている」

と理解しても、心は少しも軽くなりません。

わかりやすい原因なのに、痛みが引かない。

そこで、いつもの言葉を心の中で唱えてみました。


「私は、誰にも理解されない痛みを、ずっと抱えてきたんだ。」

何度か繰り返していると、不思議なことに少しずつ心が軽くなってきました。

どうやら、痛んでいる場所は「邪魔されたこと」そのものではなかったようです。


◇怖かったのは、希望を潰されること

痛みが少し和らいだとき、ふっと見えてきました。

私が本当に怖かったのは、

邪魔されることではなく、希望を潰されることだった。

ということです。

「もしかしたら、うまくいくかもしれない」

「今度こそ、楽しいことが起きるかもしれない」

「このまま幸せになれるかもしれない」

そんな希望を持った直後に、それを壊される。

その痛みが、私は怖かったのです。

だから、応援している力士にも最初から負けると思っておく。

映画の主人公にも期待しない。

自分自身の計画にも希望を持たない。

希望を持たなければ、潰されたときに傷つかなくて済む。

私は自分を絶望から守るために、希望そのものをネグレクトしていたのかもしれません。


◇喜びの直前で、自分を止める

セルフネグレクトというと、自分の食事や健康を後回しにすることが思い浮かびます。

でも、自分の希望を後回しにすることもあります。

楽しくなりそうになると、悪い未来を想像する。

うまくいきそうになると、

「どうせダメになる」

と思う。

誰かを好きになりそうになると、

「いつか裏切られる」

と距離を取る。

喜びが見えてくるたびに、自分でそれを打ち消してしまう。

それもまた、自分の心を置き去りにするセルフネグレクトなのだと思います。


◇希望を持った自分が痛かった

そこで私は、希望を持てなかった自分を責めるのではなく、

「希望を潰されて、本当に痛かったんだね」

と声をかけてみます。

「期待したのに、ダメになって悲しかったんだね」

「今度こそと思ったのに、また壊されて苦しかったんだね」

そうやって、心の傷に温かい手を添える。

すると少しずつ、痛みが和らいでいきます。

痛みが和らぐと、

「希望を持ってもいいかもしれない」

という感覚が戻ってきます。


◇光が消えても大丈夫

以前の私は、一つの希望が潰されたら、すべてが終わりだと思っていました。

応援している力士が負ける。

計画が失敗する。

誰かに邪魔される。

すると、目の前の光が全部消えてしまうように感じます。

でも、痛みに寄り添っていると、少し違う感覚が出てきました。

光は、消えても大丈夫なのかもしれない。

たくさんあった道が閉ざされても、

最後には、自分が進むべき一筋の光が残る。

むしろ、いくつもの光が消えることで、本当に自分が進みたい道が見えてくることもある。

そんなふうに思えるようになりました。


◇素直に応援してもいい

これからは、応援している力士に、

「頑張れ!」

と言ってもいいのかもしれません。

負けたら悲しんでいい。

映画の主人公がつらい目に遭ったら、一緒に苦しくなってもいい。

それでも、物語の続きを見ていい。

希望を持つことは、絶対に失望しないことではありません。

希望が壊れたとしても、また次の光を見つけられる。

そして、そのときには、自分が自分のそばにいる。

そう思えることなのかもしれません。


セルフネグレクトから解放されるとは、失望しない人になることではありません。

希望を持ち、傷つき、悲しんでも、また一筋の光を見つけられる自分に戻ることなのだと思います。

また無意識の旅でお会いしましょう。