「何もしたくない」のではなく、ものすごく疲れていた――セルフネグレクトと倦怠感
こんにちは。
今日も無意識の旅を始めていきます。
セルフネグレクトについて書いていると、
「面倒くさくて何もできない」
という言葉がよく出てきます。
片づけるのが面倒くさい。
食事を用意するのが面倒くさい。
お風呂に入るのも面倒くさい。
病院へ行くのも面倒くさい。
でも、私自身の感覚を振り返ってみると、少し違うような気がするのです。
面倒くさいのではなく、
ものすごく疲れていた。
本当は、ただそれだけだったのかもしれません。
◇ 体が泥のように重くなる
私には昔から、突然ものすごい倦怠感に襲われることがありました。
体が泥になったように重い。
立っていることさえつらい。
腕を一本動かすだけでも、大仕事のように感じる。
「もう、このままうつ伏せになって眠りたい」
と思います。
ところが、横になっても眠れません。
体は疲れ切っているのに、頭の中は静かにならない。
何をするにも、
「はあ……」
と、ため息が出ます。
周囲から見れば、
「だらだらしている」
「面倒くさがっている」
「やる気がない」
と見えるかもしれません。
でも本人の中では、本当に体が動かないのです。
◇「怠けている」と思われる痛み
倦怠感は、外からは見えません。
骨折しているわけでもない。
血が出ているわけでもない。
だから、
「何もしていないのに、どうして疲れているの?」
と思われてしまいます。
本人も同じように自分を責めます。
「どうして私は、こんなにだらしないんだろう」
「ほかの人は動けているのに」
「私は怠けているだけなのではないか」
そうやって、疲れている自分に、さらに鞭を打ちます。
しかし、痛みや疲労で動けない人を叱っても、元気にはなりません。
むしろ、
「このつらさを誰にも理解してもらえない」
という苦痛が加わって、ますます動けなくなってしまいます。
◇ 疲労とヘルペスウイルスの研究
近年、疲労やうつ状態と、体内に潜伏するヘルペスウイルスとの関連を調べる研究があります。
こうした研究を知ったとき、私は、
「なるほど。倦怠感には、身体の中で起きていることも関係しているのかもしれない」
と思いました。
もちろん、疲労の原因をすべてヘルペスウイルスで説明できるわけではありません。
倦怠感には、睡眠、栄養、内科的な病気、服薬、心理的ストレスなど、さまざまな要因が関係します。
ただ、
「意志が弱いから疲れているのではない」
「身体の中で、本人にはどうすることもできない反応が起きている可能性もある」
と考えられることは、私にとって大きな救いでした。
◇ 話が通じないと、どっと疲れる
カウンセリングの現場で人を見ていると、もう一つ興味深く感じることがあります。
それは、
話が通じない人と一緒にいると、どっと疲れる
ということです。
こちらが一生懸命説明しているのに、文脈が共有されない。
言葉の意味が、まったく違う形で受け取られる。
何度説明しても、こちらの意図が伝わらない。
そんな相手と話していると、急に頭がぼんやりして、体が重くなることがあります。
私は以前、それを、
「わかり合えない虚しさで疲れているのだろう」
と思っていました。
もちろん、それもあるでしょう。
けれど、もしかすると
強い対人ストレスによって身体の反応が起き、
倦怠感や思考力の低下につながることもあるのかもしれません。
これは、私が臨床や自分の体験から組み立てているナラティブです。
医学的な因果関係を断定するものではありません。
それでも、
「話が通じないのに、何とか通じ合わせなければ」
と頑張るほど、自分の心身を消耗させてしまうことは確かにあるように感じます。
◇ 通じ合わせる責任まで背負っていた
話が通じないとき、私は焦ります。
もっと詳しく説明しなければ。
相手が納得できる言葉を探さなければ。
誤解を解かなければ。
こちらの意図を、完全に理解してもらわなければ。
そうやって、コミュニケーションの責任をすべて自分で背負います。
すると、ますます疲れていきます。
本当は、話が通じないこともあります。
どれほど丁寧に説明しても、理解し合えないこともあります。
それなのに、
「通じ合えないのは、自分の説明が悪いからだ」
と背負ってしまう。
その状態が続けば、体も心も消耗して当然なのかもしれません。
◇『車輪の下』へ落ちていくように
私は、この状態からヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を思い出します。
主人公のハンスは、周囲の期待の中で自分を見失い、少しずつ疲弊していきます。
自分の感覚よりも、周囲の基準を優先する。
自分の苦しさを理解してもらえない。
そして、どんどん生きる力を失っていく。
私自身も、疲れ果てて、トラックの車輪のそばで眠ってしまったことがありました。
「車輪の下」という言葉が、単なる文学作品の題名ではなく、自分の体験と重なって感じられたのです。
周囲に合わせようとする。
わかってもらおうとする。
話を通じ合わせようとする。
そのために自分を後回しにする。
そして、最後には泥のように動けなくなる。
それが、私のセルフネグレクトだったのかもしれません。
◇「誰にも理解されない痛み」を認める
そんなとき、私は心の中でいつもの言葉を唱えてみます。
「私は、誰にも理解されない痛みを、ずっと抱えてきたんだ。」
ここで大切なのは、
「誰かに理解してもらわなければならない」
と頑張ることではありません。
むしろ、
「この痛みは、誰にも完全には理解できないものだった」
と認めることです。
話が通じるはずだと思うから、通じなかったときに失敗になります。
わかってもらえるはずだと思うから、理解されなかったときに傷つきます。
でも最初から、
「これは、誰にも完全には理解できないほど深い痛みだった」
と自分が認めてあげる。
すると、相手に理解させるために背負っていた力が、少し抜けていきます。
◇ 心の手を、疲れている自分に添える
「誰にも理解されない痛みがあったんだね」
「本当に疲れていたんだね」
「動けないほど苦しかったんだね」
そうやって、疲れている自分に心の温かい手を添えます。
すると不思議なことに、体の中を流れていた重たい疲労が、少しずつ動き始めるような感覚があります。
川に流されていくように、
自分の中から少しずつ離れていく。
もちろん、すべての倦怠感が心の持ち方だけで消えるわけではありません。
強い疲れが続くときには、身体的な原因を調べ、必要な医療につながることも大切です。
ただ、自分を怠け者として責め続けることをやめ、
「私は本当に疲れていた」
と認めるだけでも、心にかかっていた負担は少し軽くなります。
◇ 動けない自分を責めなくてもいい
セルフネグレクトの状態にあると、
自分を世話する力さえ失われます。
食べる。
眠る。
片づける。
着替える。
病院へ行く。
どれも簡単なことに見えますが、強い倦怠感の中では、とても大きな仕事です。
だから、
「どうしてできないの?」
と自分を責めるのではなく、
「それほど疲れているんだね」
と気づいてあげる。
そこから始めればいいのだと思います。
何もしたくないのではない。
怠けているのでもない。
本当は、誰にも理解されないほど疲れていた。
その痛みに自分が気づいてあげるとき、セルフネグレクトという麻痺が少しずつ必要なくなります。
そして、川に流されるように疲れが離れていったあとに、本来の自分の感覚が戻ってくるのかもしれません。
また無意識の旅でお会いしましょう。