こんにちは。

今日も無意識の旅を始めていきます。


セルフネグレクトから抜け出すのは、なかなか大変です。


自分を大切にすればいい。

嫌な人から離れればいい。

無理をせずに休めばいい。

言葉にすれば、とても簡単です。


ところが、実際にやろうとすると、なぜかできません。


むしろ、これまで以上に怒りが湧いてきたり、話の通じない人のことが気になったりします。

どうしてなのでしょう。


◇ 話が通じないと、ものすごく疲れる

私は以前から、

話が通じない人と一緒にいると、ものすごく疲れる

ということを感じていました。


こちらが説明していることと、まったく違う意味で受け取られる。

話の前後がつながらない。

何度説明しても、文脈が共有されない。

こちらの意図とは違う話に、どんどん展開していく。


すると私は、

「どうしてわかってくれないんだ」

「もっと説明しなければ」

「この誤解を解かなければ」

と焦ります。


そして、会話が終わった頃には、泥のように疲れているのです。


◇ 会話が解体された家族

統合失調症の研究には、家族内の曖昧で矛盾したコミュニケーションと、精神病症状との関連を調べてきた歴史があります。


親のコミュニケーションの逸脱と、精神病症状との間には一定の関連が報告されていますが、もちろん、それだけで統合失調症が起きると断定できるものではありません。


それでも臨床で見ていると、

「家族なのに話が通じない」

「言葉が同じ意味で共有されない」

という環境が、本人に強い苦痛を与えていることがあります。


どれだけ話してもわかってもらえない。

自分の現実を説明しても否定される。

何を言っても、違う意味に変換されてしまう

そんな環境に長くいれば、心身が疲弊してしまうのも不思議ではありません。


◇ 話が通じる場がもたらすもの

リフレクティング・チームやオープンダイアローグのような対話的な方法では、治療者が一方的に答えを出すのではなく、本人や家族の言葉を聞き、それについて複数の人が開かれた形で考えていきます。

こうした対話は、「自分の話が聞かれた」「言葉が共有された」という体験を生みやすいと考えられています。

ただし、ウイルスの活性化を直接抑える治療法として確立しているわけではありません。


それでも私は、

「話が通じる場にいると、人は少しずつ本来の自分へ戻っていく」

という姿を、臨床の中で何度も見てきました。


◇ ストレスとヘルペスウイルス

近年、心理的・身体的ストレスと、体内に潜伏しているヘルペスウイルスの再活性化との関連が研究されています。


ストレスによる免疫反応やホルモン反応が、潜伏していたウイルスの再活性化に関係する可能性が報告されています。

また、感染や炎症と統合失調症との関連についても研究が続いています。


ただし、統合失調症は非常に複雑な状態です。


遺伝的要因、脳の発達、心理社会的ストレス、感染や免疫など、多くの要因が関係すると考えられており、「ウイルスだけが原因」とすることはできません。

ここから先は、私が臨床経験と自分自身の体験から組み立てているナラティブです。


◇ 怒りは、苦痛を麻痺させるドーピングだった

話が通じない人と接していると、私はどんどん疲れていきます。


頭が働かなくなる。

物事の前後関係がわからなくなる。

相手のことばかり考えてしまう。


そして、やがて怒りが湧いてきます。


「なぜ、こんなこともわからないんだ」

「どうして私の話を曲げて受け取るんだ」

怒っている間は、不思議と少し元気になります。


さっきまでぐったりしていたのに、相手を責め始めると頭が働くような感覚があります。


だから私は、怒りを一種のドーピングとして使っていたのかもしれません


疲労や孤独、わかり合えない苦痛を、怒りによって一時的に感じなくしていたのです。


ただし、怒りやストレスで分泌されるホルモンが、ヘルペスウイルスを抑えると医学的に確認されているわけではありません。

むしろ、ストレス反応に伴うグルココルチコイドが、ヘルペスウイルスの再活性化を促す可能性を示した研究もあります。


それでも、怒りが主観的な痛みを一時的に麻痺させる、という体験は確かにあります。


◇ 認知機能を落とすことで、相手に合わせていた?

ここで、もう一つ不思議な考えが浮かびました。

もしかすると、私は認知機能を落とすことによって、話が通じない相手に合わせていたのではないか


相手と同じところまで降りていく。

同じように文脈がわからなくなる。

同じように感情的になる。

そして、相手と頭の中で戦い続ける。


そうすれば、相手とのつながりは切れません。

たとえ怒りと憎しみでつながっていたとしても、完全に一人になることは避けられます。


つまり私は、

話が通じない相手に執着することで、孤独から自分を守っていた

のかもしれません。


◇ 症状にも、私を守る役割があった

これまで私は、ヘルペスウイルスや疲労、認知機能の低下を、

「私を苦しめる敵」

として見ていました。


でも、ナラティブとして考えてみると、違う見方もできます。


認知機能を落とすことで、話が通じない相手の世界に合わせる。

相手に怒り続けることで、関係を切らずに済む。

相手のことばかり考えることで、孤独を感じずに済む。


もしそうであるなら、セルフネグレクトや怒り、疲労にも、かつて私を守る役割があったのかもしれません。

だから、簡単には手放せないのです。


セルフネグレクトから抜け出すということは、単に悪い習慣をやめることではありません。

今まで自分を孤独から守ってくれた仕組みを手放すことでもあるからです。


◇「誰にも理解されない苦痛」を認める

そんなとき、私はいつもの言葉を心の中で唱えてみます。


「私は、誰からも理解されない苦痛を、ずっとここに抱えてきたんだ。」


すると、少しずつ怒りが静まってきます。


「あの人にわからせなければ」

「誤解を解かなければ」

「相手を変えなければ」

という執着も、少しずつ薄れていきます。


なぜなら、

「誰にも完全には理解されないほど深い苦痛だった」

と、自分自身が認めてあげるからです。


誰かに理解させる必要がなくなる。

話の通じない人に、何とか話を通じさせなくてもよくなる。


◇ 私が私を理解してあげる

誰にも理解されない。

この言葉は、一見すると孤独を深めるように聞こえるかもしれません。


でも、私にとっては逆でした。


誰にも完全には理解されない痛みを、私自身が、

「本当に痛かったんだね」

と受け止めてあげる。


すると、

私が私を大切にしている

という感覚が生まれてきます。


誰かにわかってもらえなくても、私がここにいる。

話が通じない相手にしがみつかなくても、私は一人ではない。


そう思えるようになるのです。


◇ 淡々と、光の道を歩いていく

痛みが少しずつ癒えてくると、相手を変えたいという気持ちも薄れていきます。


通じ合えない人とは、通じ合えないままでいい。

相手の世界へ降りていかなくてもいい。

怒りによってつながり続けなくてもいい。


私は私の道を歩けばいい。


その道は、派手な光に照らされているわけではありません。

誰かに称賛される道でもないでしょう。


ただ、自分の足元に一筋の光が見えている。


私はその光の中を、淡々と歩いていく。


セルフネグレクトから抜け出すとは、症状と戦って勝つことではないのかもしれません。


これまで自分を守ってくれていた仕組みに、

「今まで助けてくれてありがとう」

と伝えること。


そして、

「もう、話の通じない相手の世界へ降りていかなくても大丈夫」

と、自分に教えてあげることなのだと思います。


誰にも完全には理解されなくてもいい。


私が私の痛みを知っている。

私が私を大切にしている。


そう思えたとき、これまで必要だった助けは、少しずつ役割を終えていくのかもしれません。


また無意識の旅でお会いしましょう。