「自分なんかは後でいい。」

そんな思いが当たり前になっている人がいます。


誰かを優先することはできるのに、自分のことになると「私は価値がない」と感じてしまう。


そして、気づけば自分自身を後回しにしてしまう。それがセルフネグレクトです。


◇ 叙々苑で一番食べられなかった私

昔、仕事で高級焼肉店に連れて行っていただいたことがあります。

上司が「好きなものを食べなさい」と言ってくれました。


同僚は嬉しそうに焼肉を頬張っています。

ところが私は、せっせとボスのお肉を焼き続けていました。


「私はこんな高いお肉を食べる価値がない。」

そんな気持ちが自然と湧いてきたのです。


結局、自分は一枚しか食べませんでした。

家に帰ると、今度は100円のポテトチップスを夢中で食べていました。


あれほど高級なお肉は遠慮したのに、家では止まらない。

なぜなのでしょうか。


◇ 我慢すると「飢えた自分」が育つ

私は長い間、

「自分を犠牲にすることは美徳」

だと思っていました。


でも実際には違いました。

自分を我慢させればさせるほど、自分の中には飢えた子どもが育っていくのです。

「もっと食べたい。」

「もっと欲しい。」

「もっと満たされたい。」

その気持ちはどんどん膨らみます。


そして、その飢えた自分を見て、

「なんて醜いんだ」

とさらに自分を責めます。


すると、また人を優先する。

また我慢する。

すると、もっと飢える。


こうしてセルフネグレクトのループが出来上がっていきます。


◇「迷惑をかけていない」は本当だろうか

私は、

「自分さえ我慢すれば、周りは喜ぶ」

と思っていました。


ところが、あるとき気づいたのです。

私が一人だけ遠慮していると、周りも気を遣うのです。


「先生、食べないんですか?」

「遠慮しないで食べてください。」

私が我慢していることで、場全体が少しだけ緊張してしまう。


実は、自分を消すことが、みんなの喜びを小さくしていたのです。


心理学では、こういう人を「パーティープーパー(場をしらけさせる人)」と呼ぶことがあります。


もちろん悪気はありません。

本人は「迷惑をかけないように」と思っているだけです。


でも、自分だけが喜びから降りてしまうことで、その場の空気まで少し寂しくしてしまうことがあるのです。


◇ 満足感を育てる

そこで、私が無意識から受け取った呪文があります。


「満足感を育てる」


という言葉です。


これは、

「もっと自分を優先しなさい」

という意味ではありません。


「もっと贅沢をしなさい」

という意味でもありません。


今、この瞬間に感じられる小さな満足を、大切に育てるということです。


一枚のお肉をゆっくり味わう。

「おいしい。」

その感覚をしっかり受け取る。


周りの人と一緒に、

「これ、本当においしいですね。」

と笑い合う。


すると不思議なことに、満足感は一人で感じるよりも、みんなで分かち合う方が何倍にも大きくなるのです。


◇ 喜ぶ者と共に喜ぶ

聖書には、

「喜ぶ者と共に喜びなさい」

という言葉があります。


以前の私は、

「相手を喜ばせること」

だと思っていました。


でも今は違います。


自分も一緒に喜ぶこと。


それが、本当の意味なのだと思うのです。


自分だけ我慢する人がいると、喜びはどこかで止まってしまいます。

でも、自分も心から楽しめたとき、喜びは場全体へ広がっていきます。


◇ 今日の呪文

もし、あなたがいつも人を優先してしまうなら。

もし、自分には価値がないと思ってしまうなら。


今日の呪文は、

「満足感を育てる」

です。


無理に自分を変えようとしなくてもいい。


ほんの少しだけ、自分が満足することを許してあげる。

一口、おいしいものを味わう。

心地よい風を感じる。

好きな音楽を聴く。


その小さな満足を大切に育てていくと、不思議なことに、自分だけではなく周りの人たちも自然と笑顔になっていきます。


セルフネグレクトから抜け出す道は、自分を責めることではありません。


満足感を育てること。


そこから、本当の意味で「喜ぶ者と共に喜ぶ」人生が始まるのかもしれません。