「枷外し」――「万能の神」を手放したとき、人は動き出せる
「電話一本かければ済む。」
そうわかっているのに、なぜか電話ができない。
役所に提出する書類も、書けば終わるだけなのに、いつまでも手をつけられない。
「誰か代わりにやってくれないかな。」
そんな気持ちになったことはないでしょうか。
私は、ずっとそうでした。
◇ たった一枚の書類が書けない
役所に提出する書類を書くたびに思うのです。
「字が汚い。」
「きっと役所の人に怒られる。」
「書き直しになる。」
そんなことを考えているうちに、一日が終わってしまう。
もし誰かが代わりに書いてくれたら、私はすぐに提出するでしょう。
でも、自分で書くとなると、体が止まってしまうのです。
私は長い間、
「自信がないからだ。」
「依存心が強いからだ。」
そう思っていました。
でも、本当は違いました。
◇ 子どもの頃から繰り返された「裁き」
子どもの頃、失敗すると言われました。
「ほら見なさい。」
「だから言ったでしょう。」
「私の言う通りだった。」
そのたびに、
「私は間違う人間なんだ。」
という感覚だけが積み重なっていきました。
一方で、親は、
「私は最初からわかっていた。」
という立場になります。
私は何をしても間違える存在。
相手は何でも見抜く万能の存在。
そんな関係が、いつの間にか心の中に出来上がっていたのです。
◇ 心の中にいる「万能の神」
大人になっても、この構図は変わりませんでした。
役所の職員。
サポートセンターの担当者。
先生。
上司。
専門家。
私は、無意識のうちに相手を「万能の神」にしていました。
「この人は何でも知っている。」
「この人は私の間違いを見抜く。」
「私は裁かれる。」
そう思えば思うほど、自分は何もできなくなります。
そして動けなくなり、失敗し、また裁かれる。
この悪循環が続いていたのです。
◇「枷外し」
そこで、私の中に浮かんできた呪文があります。
「枷外し」
という言葉です。
最初は意味がよくわかりませんでした。
でも唱えているうちに、不思議なことが起こりました。
「ああ、私は相手を神様にしていたんだ。」
そう気づいたのです。
相手を万能にすればするほど、自分は罪人になります。
自分が罪人になればなるほど、相手はさらに万能になります。
この構図が、自分の心の中で活性化していたのです。
◇ 神ではなく、人間だった
「枷外し」
と唱えていると、不思議な感覚になります。
役所の人も、人間。
サポートセンターの人も、人間。
先生も、人間。
上司も、人間。
そして、
私も人間。
頭では昔から知っていたことです。
でも、この呪文を唱えていると、そのことが感覚として伝わってくるのです。
相手は間違うこともある。
私も間違うことがある。
それでいい。
そんな空気が心に広がっていきます。
◇ 裁かれる痛み
セルフネグレクトの下には、いつも「痛み」があります。
助け待ちタイプのセルフネグレクトの下にあるのは、
「裁かれる痛み」
なのかもしれません。
裁かれるのが怖いから動けない。
失敗するのが怖いから始められない。
だから誰かにやってほしい。
そう考えると、この動けなさは怠けではありません。
心が痛みに耐えるための反応だったのです。
◇ 今日の呪文
今日の呪文は、
「枷外し」
です。
相手を万能の神にしない。
自分を罪人にしない。
私も人間。
相手も人間。
そう思えたとき、不思議なことに体が少しずつ動き始めます。
電話を一本かけられる。
書類を書き始められる。
小さな一歩を踏み出せる。
セルフネグレクトから抜け出す第一歩は、「頑張ること」ではありません。
心の中で神になってしまった相手を、人間に戻してあげること。
そして、自分自身も「罪人」ではなく、一人の人間として受け入れてあげること。
その瞬間から、止まっていた時間は少しずつ動き始めるのかもしれません。