美しく調律する――人の態度ではなく、自分の心を整える呪文
車を見に行ったときのことです。
いつものようにTシャツ姿でお店に入りました。
店員さんが近づいてきたので話しかけようとすると、
「少々お待ちください。」
そう言って別のお客さんのところへ行ってしまいました。
そのまま戻ってきません。
後から来たお客さんには、
「いらっしゃいませ!」
と笑顔で接しています。
私は一人、ぽつんと取り残されます。
その瞬間、
胸の奥がズキッと痛むのです。
◇「私は何が悪かったのだろう」
帰り道になると考え始めます。
「服装が悪かったのかな。」
「もっとちゃんとした格好をしていれば……。」
「私って、そんなに軽く見られる人間なんだろうか。」
考え始めると止まりません。
「舐められた。」
「バカにされた。」
そんな思いが頭の中をぐるぐる回り始めます。
そして最後には、
「もういい。」
となってしまう。
車を見に行くこと自体が嫌になる。
何もかも放り出してしまう。
これが私のセルフネグレクトでした。
◇ 人の態度で、自分を調律していた
なぜ、こんなにも傷つくのでしょう。
私はずっと、
相手の態度を見て、自分の価値を決めていました。
親切にされたら安心する。
雑に扱われたら、自分は価値がないと思う。
つまり、
相手の感情で、自分の心を調律していた
のです。
だから、一人の店員さんの態度だけで、
私の心の音程は一気に狂ってしまう。
悲しみ。
怒り。
虚しさ。
自己嫌悪。
それぞれの弦がバラバラに鳴り始め、
心の中は不協和音でいっぱいになってしまいます。
◇ ピアノは自分で調律しない
ピアノには約230本もの弦があります。
その一本一本を調律師が丁寧に合わせていきます。
少しでも狂えば、美しい音は出ません。
でも、ピアノは自分で自分を調律しようとはしません。
調律は、調律師に委ねます。
私はふと思いました。
人の顔色を見ながら、
人の評価を聞きながら、
自分で自分を調律しようとしていたのではないか、と。
それでは、いつまでたっても音は安定しません。
人が変われば音も変わる。
店員さんが変われば気分も変わる。
評価する人が変われば、自分の価値まで変わってしまう。
それは、とても苦しい生き方です。
◇ 今日の呪文
そこで浮かんできたのが、
「美しく調律する」
という呪文でした。
この言葉を唱えると、
不思議なことに、人の態度から少し距離が生まれます。
「あの人はあの人。」
「私は私。」
そんな感覚が、静かに広がっていくのです。
自分を整えるのは、
周囲の評価ではありません。
無意識に任せればいい。
その感覚が少しずつ育っていきます。
◇ ピアノを習っていた頃
子どもの頃、私はピアノを習っていました。
でも、楽しくありませんでした。
「練習しなさい。」と言われるたびに、
鍵盤をガンガン叩いていました。
音楽ではなく、
「やっています。」
という証明のために弾いていたのです。
そこには、美しさはありませんでした。
ただ音を出していただけでした。
でも今、この呪文を唱えていると、
まったく違う景色が浮かんできます。
静かなホール。
誰も急かさない時間。
一音一音が静かに響き、
その余韻が空間を満たしていく。
その美しい旋律を聴いていると、
私の心まで少しずつ整っていくような気がするのです。
◇ 無意識という調律師
セルフネグレクトとは、
人の態度で自分の価値を決め続けることなのかもしれません。
でも、本当に自分を整えられるのは、
他人ではありません。
心の奥深くにいる無意識なのです。
だから今日の呪文は、
「美しく調律する」
人に合わせて自分を整えるのではない。
人の機嫌で自分の価値を決めるのでもない。
無意識という調律師に、自分の心を委ねてみる。
すると、乱れていた感情が少しずつ静まり、
心の中に、一曲の美しいメロディーが流れ始めます。
その旋律に耳を澄ませながら歩いていくと、
人の態度に振り回される人生ではなく、
自分らしい音色で生きる人生が、静かに始まるのかもしれません。