こんにちは。

今日も無意識の旅を始めていきます。


前回、「白黒思考」について書きました。


白か黒か。

正しいか間違っているか。

いいか悪いか。

100か0か。


こうやって考えていると、一つ面白いことが起きるんですよね。


それは、次の思考に切り替わらなくなるということ。


「なんであの人は、あんなことを言ったんだろう?」

と考え始めたら、ずーっとそのことを考えている。


「あの人が間違っている!」

となったら、頭の中で何度も何度も、その人を裁判にかけてしまう。


「あのとき、こう言えばよかった」

「あの人の言っていることはおかしい」

「いや、もしかして私が間違っている?」

と、ぐるぐるぐるぐる。


気がついたら30分。いや、1時間。

「うわ! こんなに時間が経ってる!」となる。


これ、思考のギアがずっと同じところに入っているような感じなんですよね。


◇ 脳の中で「葛藤」を拾っている場所

ここで面白いのが、前帯状皮質(ACC:anterior cingulate cortex)という脳の領域です。

前帯状皮質は、痛みや不快感、葛藤、エラーの検出、そしてその後の行動の調整などに関わっていると考えられています。


たとえば、「こっちにしようかな」「いや、あっちかな」という葛藤。


「しまった、間違えた!」というエラー。


あるいは、「これは痛い」「これは嫌だ」という不快。


そうした、「何かがおかしいぞ」という情報を拾って、その後どうするかを調整していく。

そんな働きに関係している脳の領域なんですね。


◇「正しいか、間違っているか」が終わらない

ここからは、私のナラティブです。


もし、この前帯状皮質が、

「正しいのか?」

「間違っているのか?」

という葛藤を、ずっと拾い続けていたらどうなるんだろう?


「あの人が間違っている!」と思う。

でも、「いや、私が間違っているのか?」となる。

「いやいや、やっぱりあの人が悪い!」となる。


するとまた、「でも、私の言い方も悪かったんじゃないか?」となる。

いつまで経っても判定が終わらない。


正しい、間違っている、正しい、間違っている・・・

頭の中で、ずっと判定を繰り返している。

だから、次の思考に行けない。


もしかすると白黒思考というのは、

「白か黒かで考えること」だけが苦しいのではなくて、

白か黒かの判定がいつまでも終わらないことが苦しいのかもしれません。


◇ どうして判定をやめられないの?

そこで出てくるのが、これまで書いてきた、

「存在の罪悪感」です。


「生まれてきて申し訳ない」

「私がここにいて申し訳ない」

「私が存在すると、誰かに迷惑をかけてしまう」


もし、そんな痛みをずっと抱えていたとしたら?


何も起きていないときでも、どこかでずっと、

「私は間違っているのではないか?」という痛みがある。


すると、誰かからちょっと嫌な顔をされただけで、

「ほら!やっぱり私が悪いんだ!」となる。


仕事で注意されたら、

「ほら!やっぱり私は間違っている!」となる。


反対に、誰かが失礼なことをしているのを見たら、

「あの人が間違っている!」と強く反応する。


なぜなら、「私は間違っていない」ということを証明しなければならないから。


私が正しいことを証明できれば、

「私はここにいていい」と思える。


そんなことを、ずっと頭の中でやっていたのかもしれません。


◇ 前帯状皮質が「痛い!」と知らせている?

存在の罪悪感というものが、本当に前帯状皮質を過活動にさせるのか。

それはわかりません。

ここは、あくまでも私のナラティブです。


でも、

「私は間違っているかもしれない」

「私はここにいてはいけないかもしれない」

という「痛み」がある。


そして、その痛みが刺激されるたびに、

「正しいか?」「間違っているか?」という葛藤が始まる。


そう考えてみると、

「ああ、だから私はずっと考え続けていたのか」

と見えてくる。


白黒思考をしている自分を、

さらに、「こんな考え方をしてはいけない!」と責める必要がなくなるんですよね。


◇「あ、痛いんだ」と気づいてあげる

だから、「白黒思考をやめよう!」としなくてもいい。


「あの人は間違っている!」と思ってもいい。

「私が間違っていた!」となってもいい。

100か0でもいい。


そのときほんの少しだけ、

「あ、今、痛いんだ」と気づいてあげる。


「あ、今、ものすごく不快なんだ」

「だから正しいか間違っているかを、こんなに判定しているんだ」

と気づいてあげる。


それだけ。


正解を出さなくてもいい。

原因を突き止めなくてもいい。

白黒をグレーにしなくてもいい。


ただ、痛みがそこにあると気づいてあげる。

それが、心の患部にそっと手を置くことになる。


◇ 判定を終わらせなくてもいい

すると、面白いことが起きる。


「あの人、絶対に間違ってる!」

と思っていたのに、


しばらくすると、「あ、コーヒー飲もう」となる。


「あれ?」となるんですよね。


まだ、どちらが正しいか決着していない。

相手が謝ったわけでもない。問題が解決したわけでもない。

なのに、次へ行ける。


「はい、次!」となる。


これが、思考のシフトチェンジなのかもしれません。


◇ 白黒思考でもいい

ここが面白いところです。


白黒思考を治さなくてもいい。

100か0でもいい。


「あの人、100%間違ってる!」そう思っている自分がいる。

「ああ、痛いんだな」

はい、次!


「私、完全に失敗した!」そう感じている。

「ああ、今、不快なんだな」

はい、次!


白黒を無理やりグレーにしなくてもいい。100を50に直さなくてもいい。


判定を完成させなくても、次へ行っていい。


これがわかると、ものすごく楽になるんですよね。


◇ ちゃぶ台をひっくり返さなくてよくなる

これまでだったら、

「完璧にできない!」

となった瞬間に、ガシャーン!と、ちゃぶ台をひっくり返していた。


「だったら、全部やめる!」となっていた。


100じゃなければ0。完璧じゃなければ全部捨てる。


でも、思考のシフトチェンジができるようになると、

「あ、今日はここまででいいか」となる。

そして翌日、また続きをやる。コツコツ。淡々と。

「あれ?私、続けられてる」となる。


◇ 自分が薄情になったように感じる

これまで一つ一つのことをものすごく真剣に考えてきた人ほど、

「はい、次!」ができるようになると、ちょっと怖くなるかもしれません。


「私、冷たい人間になった?」「こんなに簡単に忘れていいの?」「ちゃんと反省しなくていいの?」と思う。


でも、薄情になったんじゃない。


もしかすると、痛みに縛られなくなっただけ。

一つの不快に、ずっと居続けなくてもよくなっただけ。


◇「気づく」がシフトチェンジになる

「あ、痛いんだ」

「あ、不快なんだ」

「あ、今、正しいか間違っているかを判定し続けているんだ」

それに気づいてあげる。


痛みを消そうとしなくてもいい。

不快を快に変えようとしなくてもいい。

白黒思考を直そうとしなくてもいい。


ただ、そこにある痛みに気づいてあげる。


すると無意識が、カチッと次のギアに入れてくれる。

「はい次!」と、次の景色へ進んでいく。


そして気がつけば、目の前のことをコツコツ、淡々とやっている。

正しいか、間違っているか。

そんなことを決着させなくても、目の前のことを楽しめる。


「あれ?こんなにちゃらんぽらんでよかったんだ」と思える。


白でもいい。黒でもいい。グレーにしなくてもいい。


白だったら白のまま、次へ行く。

黒だったら黒のまま、次へ行く。


それが、無意識に委ねるということなのかもしれません。

また、無意識の旅を楽しみにしています。