内的対話 ――頭の中の人形遊びを「融合」する
こんにちは。
今日も無意識の旅を始めていきます。
今日は、
「内的対話」
ということについて書いてみたいと思います。
内的対話って何?という話なんですけど、
これ、私の場合は、頭の中でずっと誰かと会話しているということなんですよね。
「あの人は間違っている!」と考える。
すると、
「でも、あなたのほうにも問題があったんじゃない?」という声が出てくる。
「いやいや、どう考えてもあの人がおかしいでしょ!」となる。
「でも、あのときあなたがあんなことを言わなければ……」となる。
「いや、それとこれとは別問題でしょ!」となる。
延々と続く。
これ、よく考えてみたら、子どもの頃の人形遊びみたいなんですよね。
◇ 頭の中で人形遊びをしている
子どもの頃って、人形を二つ持って、
「ねえ、今日はどこに行く?」「私はあそこに行きたい!」「えー、私は嫌!」
なんてやっていましたよね。
AさんとBさんがいて、二人が会話することで、
どんどん物語が展開していく。
ところが、大人になったら人形はいらなくなる。
全部、頭の中でできるから。
「あの人が悪い!」「いや、私が悪かった?」
「絶対あっちが悪い!」「でも私にも責任が……」
AさんとBさんが、頭の中でずーっと話している。
そして面白いのが、話せば話すほど物語が膨らんでいくということなんです。
最初は、ほんのちょっとした出来事だった。
ちょっと嫌な顔をされた。
SNSで失礼なことを書かれた。
ちょっと気になる一言を言われた。
それだけだったはずなのに、頭の中で対話を始める。
すると、どんどん物語が大きくなっていく。
◇ 正しい!間違っている!
「あの人は間違っている!」
「私は正しい!」となる。
でも、しばらくすると、
「いや、私が間違っていたのか?」となる。
そしてまた、
「いやいや、絶対にあっちが悪い!」となる。
正しい/間違っている。
いい/悪い。
綺麗/汚い。
白/黒・・・
この二人が、頭の中で戦い続ける。
これが、私がここで言っている、
白黒思考の内的対話なんですね。
◇ みんな頭の中で喋っているわけではない
ここで、私が面白いなと思った研究があります。
人間の頭の中では、いつでも言葉が流れているように思いますよね。
ところが、実際に人の日常の内的体験をランダムに調べてみると、
内言、つまり頭の中で言葉を使って話している体験には、
ものすごく大きな個人差があるらしいんです。
頻繁に頭の中で言葉を使っている人もいれば、
調査された瞬間には、ほとんど内言が観察されない人もいる。
これを知ったとき、私は「えー!」となったんですよね。
頭の中で、この会議をやってない人がいるの?
みたいな。
私はてっきり、みんな頭の中で、
正しい!間違っている!
あいつが悪い!いや、お前が悪い!と、ワーワーやっているのかと思っていた。
でも、そうとは限らない。
淡々と生きているように見える人が、
実は本当に、私ほど頭の中で会議をしていない可能性もある。
これ、結構な衝撃なんですよね。
◇「内的対話が悪い」という話ではない
もちろん、
頭の中で言葉を使って考えること自体が悪いわけではありません。
内的な言葉は、
計画を立てたり、自分を励ましたり、
問題を整理したり、いろんなことに使えます。
ここで私が問題にしているのは、
対話が止まらなくなって、怒りや苦痛がどんどん増幅していく状態です。
「正しい!」「間違っている!」
「正しい!」「間違っている!」
と、同じところを延々と回り続ける。
そして、現実には何も起きていないのに頭の中では戦争になっている。
◇ 小さな自分が戦っている
ここからは私のナラティブです。
どうして、そんなに戦わなければならないんだろう?
と思うんですよね。
「まあ、どっちでもいいじゃん」
で終わればいいのに、終われない。
もしかするとそこには、小さな、幼い自分がいるのかもしれない。
その小さな自分は、ただ意地を張っているわけではない。
怠けているわけでもない。
自分の存在をかけて、必死に戦っている。
「私が間違っていたら、私はここにいてはいけない!」
「私が正しいことを証明しなければ、私は存在してはいけない!」
そんなふうに存在をかけて戦っているのだとしたら、
そりゃ、「まあ、どっちでもいいじゃん」なんて言えないですよね。
負けられない。だから、内的対話が終わらない。
◇ 幼い自分を捨てなくていい
ここで、「もっと大人にならなきゃ!」となると、
また面白いことが起きます。
「こんな幼稚なことを考えている自分はダメだ!」となる。
ほらまた、正しい、間違っている。
大人/子ども
成熟/未熟
白/黒・・・
また始まってしまう。
だから、小さな自分を消す必要はないんですよね。
「成長しなさい!」と説得する必要もない。
「もう大人なんだから!」と叱る必要もない。
ここで出てくるのが、前回の呪文です。
「融合」
◇ 融合
頭の中で、「あの人が悪い!」が始まった。
「融合」
「いや、私が悪かった!」
「融合」
「絶対許せない!」
「融合」
「こんなことを考えている私は幼稚だ!」
それも、「融合」
自分で何かを解決しようとしなくていい。
白と黒のどちらが正しいかを決めなくてもいい。
幼い自分を大人の自分が説得しなくてもいい。
ただ、「融合」と唱えて、無意識に任せてみる。
◇ 小さなものほどエネルギーになる
核融合のイメージで考えると、
ここが面白いんですよね。
小さな原子核同士が融合することで、
大きなエネルギーが生まれる。
だったら自分の中にある、
小さな自分。
怒っている自分。
拗ねている自分。
正しさにこだわっている自分。
復讐したい自分。
「絶対に許さない!」と言っている自分。
そんな、
「こんなものはいらない!」
と思っていた小さな自分たちも、捨てなくていい。
「融合」。
無意識に任せて、融合していく。
すると、これまで内的対話を続けるために使われていたエネルギーが、
別の形になっていくのかもしれない。
◇ 無駄なものは何一つなかった
ここが私にはとても面白いところです。
これまでだったら、白黒思考をなくそうとしていた。
怒りをなくそうとしていた。
幼い自分を成長させようとしていた。
嫌な記憶を忘れようとしていた。
でも、「融合」というナラティブでは、
捨てるものが何一つない。
怒りも。
白黒思考も。
内的対話も。
幼い自分も。
全部、そこにあっていい。
全部融合して、エネルギーになっていく。
すると、「あの人が悪い!」と考えるために使っていたエネルギーが、
いつの間にか、自分が本当にやりたかったことに向かっていく。
気がついたら、文章を書いている。
本を読んでいる。
仕事をしている。
散歩をしている。
面白いことを考えている。
「あれ?さっきまで何に怒ってたんだっけ?」
となる。
◇ 小さな私も無意識の一部
もしかすると、成長するというのは、
小さな自分を捨てることではないのかもしれません。
小さな自分を、「幼稚だ」と切り離すことでもない。
小さな自分も、怒っている自分も、
白黒でしか考えられない自分も、
全部、無意識の中へ戻していく。
「融合」
そうすると、バラバラだったものが一つになっていく。
そして、戦うために使われていたエネルギーが生きるためのエネルギーへと変わっていく。
そう考えてみると、これまで「直さなければ」と思っていた自分の中のものが、
全く違って見えてくるんですよね。
無駄なものなんて、何一つなかった。
白も。黒も。
怒りも。幼い私も。
すべてが、私を動かすエネルギーになる。
「融合」
ただ唱えて、あとは無意識に任せてみる。
無意識の世界って、本当に面白いですね。
また楽しみにしています。