怒りは創造のエネルギーになる
こんにちは。
今日も無意識の旅を始めていきます。
今日は、
「怒りはエネルギーである」
ということを書いてみたいと思います。
怒りって、普通はあまりいいものだと思われていないですよね。
「怒らないほうがいい」
「穏やかでいたほうがいい」
「怒りをコントロールしましょう」となる。
でも、怒っているときの自分を観察してみると、
ものすごいエネルギーがあるんですよね。
ムカつく!となった瞬間に、頭がものすごい勢いで回り始める。
普段だったら思いつかないようなことが、次から次へと浮かんでくる。
「あれもできる!」
「これもできる!」
「だったら、こうすればいいじゃん!」と、
アイデアがガンガン出てくることがある。
だからもしかすると、怒りは創造力の源になるのかもしれない。
実際、怒りと創造性について調べた研究でも、
怒りが条件によって創造的なアイデアを増やすことが報告されています。
面白いですよね。
怒りは、ただ人を攻撃するためだけのものではない。
その強い覚醒が、新しいものを生み出すエネルギーになることがある。
◇ ところが、怒りを浪費してしまう
問題は、せっかく生まれた怒りのエネルギーを、私は何に使っているのか?ということなんですよね。
そこで出てくるのが、前回書いた「内的対話」です。
ムカつく!となったときに、
「あの人は絶対に間違っている!」と考える。
すると、頭の中に相手が登場する。
「いや、私はそんなつもりじゃなかった」と相手が言う。
すると私は、「そんなつもりじゃなくても、あんなことを言ったら普通は傷つくでしょ!」と言い返す。
すると相手が、「でも、あなたにも問題があったんじゃない?」と言ってくる。
「はあ?」となる・・・
もちろん、全部、頭の中の出来事です。
本人は目の前にいない。
それなのに私の頭の中では、相手役まで私がやっている。
相手のセリフを考えて、自分で反論して、また相手に反論させて、さらに自分が怒る。
これ、すごいですよね。一人二役。
いや、登場人物が増えたら、一人五役ぐらいやっている。
◇ 怒りのエネルギーで「物語」を作っている
考えてみたら、これも一種の「創造力」なんですよね。
まだ起きていないことを、ものすごい勢いで想像している。
「あの人はきっとこう思っている」
「こう言ったら、きっとこう返してくる」
「だったら私はこう言い返す」
「そうしたら向こうは……」
と、次から次へと物語を作っている。
だから、怒りはちゃんと創造のエネルギーとして使われている。
ただし、自分を豊かにする創造には使われていない。
頭の中で、延々と裁判を開くために使われている。
◇ 最後は必ず「私がダメ」に戻ってくる
そして私の場合、この内的対話には面白い特徴があります。
どれだけ頭の中で相手を論破しても、最後にはなぜか、
「こんなことをいつまでも考えている私ってダメだな」となる。
「また時間を無駄にした」
「こんなことで怒っているなんて幼稚だ」
「どうして私はもっとちゃんとできないんだろう」となる。
あれ?相手が悪かったはずなのに、
いつの間にか、「私がダメ」に戻っている。
ここで出てくるのが、これまで書いてきた、
「存在の罪悪感」という私のナラティブなんですよね。
◇ 存在の罪悪感を証明する物語
「私はここにいてはいけない」
「私には存在する価値がない」
「生まれてきて申し訳ない」
そんな痛みが、もし最初から自分の中にあったとしたら。
怒りによって生まれた創造力を使って、
無意識のうちに、その結論を証明する物語を作ってしまうということがあるのかもしれない。
「あの人が悪い!」から始まったのに、
物語を延々と作っていくと、最後には、「やっぱり私がダメなんだ」にたどり着く。
そして、「ほらね」となる。
「やっぱり私は何をやってもダメ」
「やっぱり私は幸せになれない」
「やっぱり私はここにいてはいけない」
存在の罪悪感が、また証明されてしまう。
そう考えてみると、怒りが悪かったわけじゃないんですよね。
怒りのエネルギーの流れ先が、いつも同じだった、ということなのかもしれません。
◇ そこで「融合」
内的対話が始まったら、どうするのか。
相手を許そうとする?
自分の怒りを鎮める?
ポジティブに考える?
いやいやそんなことをやったら、
また頭の中で新しい人形が登場してしまう。
「怒っている私」と「怒ってはいけないと言っている私」
が、また議論を始めてしまう。
だから、何もしない。
ただ、「融合」と唱えてみる。
ムカつく!
「融合」
あの人は間違っている!
「融合」
絶対に許せない!
「融合」
でも私が悪かったのかな?
「融合」
こんなことを考えている私ってダメだ!
それも、「融合」。
◇ 小さなものを融合する
「融合」という言葉から、私は核融合をイメージしています。
核融合では、とても小さな原子核同士が結びつくことで、大きなエネルギーが生まれる。
だったら自分の中にある、この小さな、小さな議論。
「あの人が悪い」「いや、私が悪い」
「正しい」「間違っている」
という、本当に小さな粒のような対立も、捨てなくていい。
どちらかを勝たせなくてもいい。
ただ、「融合」。
無意識に任せて、融合していく。
すると、これまで内的対話を回し続けるために使われていた怒りのエネルギーが、
自分のところに戻ってくる。
◇ 怒りが「私のエネルギー」になる
ここが面白いんですよね。
怒りをなくす必要はなかった。
怒りを鎮める必要もなかった。
怒りは、もともとものすごいエネルギーだった。
ただそのエネルギーを、頭の中の相手に使っていただけ。
相手を論破するために使う。相手を裁くために使う。
まだ起きてもいない未来を想像するために使う。
そして最後には、自分を裁くために使う。
でも融合すると、そのエネルギーが、相手から自分のところへ戻ってくる。
すると不思議と、目の前のことをやり始める。
文章を書く。片づける。
仕事をする。本を読む。
歩き始める。何かを作り始める。
「あれをやらなきゃ!」と自分を動かす必要もない。
考えなしに、淡々と動いている。
◇ 怒りを創造へ返していく
怒りが湧いてきたとき、
「ああ、また怒っちゃった」と自分を責める必要はないのかもしれません。
むしろ、「おお、エネルギーが来た」ぐらいでいい。
そして、内的対話が始まったら、
「融合」
相手を裁き始めたら、
「融合」
自分を裁き始めても、
「融合」
そうやって、小さな対立を無意識に委ねていく。
すると怒りというエネルギーが、
存在の罪悪感を証明するためではなく、私を生かすために使われ始める。
何を作るのか。どこへ向かうのか。
それすら、自分で考えなくてもいい。
「融合」、あとは、無意識に任せる。
すると、昨日まで頭の中で誰かと戦うために使っていたエネルギーで、
今日は何か新しいものを作っているかもしれない。
怒りは消すものではなかった。怒りは、私の創造のエネルギーだった。
そう考えてみると、ムカつく出来事さえちょっと面白く見えてくるのかもしれません。
また楽しみにしています。