はい、今日も無意識の旅を始めていきます。


今日はですね、

おっさんが走っているのを、小学生が冷ややかな目で見ている

という内容を書いていました。


これ、私自身の小学生の頃の記憶なんですよね。

真っ黒に日焼けしたおっさんが、一人でジョギングしている。

それを見て、

「何が楽しいんだろう?」

って思っていたんですよね。


さらに、

「あのおっさん、バカじゃない?」

ぐらいに思っていた。

だって、走っているだけなんですよ。

鬼ごっこをしているわけでもない。

友達と遊んでいるわけでもない。

何か面白いことが起きているわけでもない。

ただ、

おっさんが一人で走っている。

「それの何が楽しいの?」

と思っていたわけですね。


でも今になってみると、

ああ、なるほどな、

と思うんです。

「FUN」と「ENJOY」は違う

英語には、

FUNとENJOY

という言葉がありますよね。

もちろん実際の英語では意味が重なる部分がありますけど、ここでは私なりのナラティブとして分けて考えてみます。


FUNは、

外からやってくる楽しさ。

みんなと遊んで楽しい。

面白いものを見て楽しい。

誰かに笑わせてもらって楽しい。

つまり、

「楽しませてもらう」

という楽しさですね。


それに対してENJOYは、

自分の中から生まれてくる楽しさ。

自分で工夫する。

自分で試してみる。

「あ、昨日よりちょっとできた」

「今日はこっちの道を走ってみよう」

「このペース、気持ちいいな」

そんなふうに、

自分で味わって、

自分で充実感を感じていく。


これが、

私の中でのENJOYなんですよね。

だから小学生の私には、

走っているおっさんの楽しさがわからなかった。

外から見たら、

何にも面白いことが起きていないから。

でも、

おっさんの中では、ものすごく面白いことが起きていたのかもしれない。

なぜ私は「楽しませてもらう」しかなかったのか


これを考えていて、

ああ、

自分には自己受容がなかったからなのかな、

と思ったんですよね。


いつも、

「人からどう見られているんだろう?」

「人からどう思われているんだろう?」

「どうしたらみんなに楽しんでもらえるんだろう?」

そんなことばかり考えている。

つまり、

楽しさの基準まで、

他人の側にあるんですよね。


みんなが笑ってくれた。

楽しい。

みんなに受け入れてもらえた。

楽しい。

仲間に入れてもらえた。

楽しい。

その瞬間は、

ものすごく楽しいんです。

でも、

一人になった瞬間、

スカーン。

ものすごい虚しさがやってくる。


あれ?

さっきまであんなに楽しかったのに、

なんでこんなに虚しいんだろう?

楽しさが自分の中に残らない

もしかしたら、

楽しさを全部、

他人に預けていたからなのかもしれません。


みんなが楽しそうだったら、

私も楽しい。

みんなが喜んでくれたら、

私も嬉しい。

でも、

自分は?

となったときに、

何もない。

だから、

楽しいことをやっても続かないんですよね。

その瞬間だけ、

バーッと盛り上がる。

でも、

すぐに冷める。

そしてまた、

次の「楽しいもの」を探す。


ところが、

自己受容ができるようになってくると、

これが変わってくる。

「私ってすげえ」で楽しさが育つ


たとえば、

一人で走ってみる。

最初は、

「何が面白いんだ、これ?」

かもしれない。

でも、

走っているうちに、

「あれ、今日ちょっと気持ちいいな」

となる。

そこで、

「こんな気持ちよさを感じられる私ってすげえ」

となる。


昨日よりちょっと長く走れた。

「私ってすげえ」

今日は走る気にならなくて休んだ。

「ちゃんと休める私ってすげえ」

違う道を走ってみたら、

きれいな花が咲いていた。

「これに気づける私ってすげえ」


すると、

面白いことが起きるんですよね。

楽しさが、

どんどん自分の中で育っていく。

誰かに楽しませてもらわなくても、

自分の中で、

楽しさが増幅していく。

気持ちいいが膨らんでいく


これまでずっと書いてきた、

「気持ちいい」

ということも、

ここにつながってくるんですよね。


気持ちいい。

「あ、気持ちいいを感じてる私ってすげえ」

すると、

もっと気持ちいいものが見えてくる。

楽しい。

「楽しんでる私ってすげえ」


すると、

もっと楽しさが見えてくる。

自分の感覚を認めれば認めるほど、

楽しさが育っていく。

誰かからもらう楽しさは、

その人がいなくなったら終わってしまうかもしれない。

でも、

自分の中で育つ楽しさは、

自分と一緒に歩いていく。


これが、

自己受容から生まれるENJOY

なのかもしれません。

人の気持ちを背負わなくていい


そして、

ここでもやっぱり、

「委ねる」

ということが大切になってくる。


あの人は楽しんでいるかな?

退屈してないかな?

私のことを変だと思っていないかな?

そんなふうに、

他人の気持ちを背負わなくていい。


それは、

相手の無意識に委ねておく。

私は、

自分の気持ちいいを感じる。

自分の楽しいを感じる。

そして、

「こんなことを楽しめる私ってすげえ」

と思ってみる。

すると、

また楽しさが膨らんでいく。


あのおっさんは、楽しんでいた

そう考えてみると、

小学生の頃に見た、

あの真っ黒に日焼けしたおっさん。

一人で黙々と走っていた、

あのおっさん。

小学生の私は、

冷ややかな目で、

「何が楽しいんだろう?」

「あのおっさん、バカじゃない?」

と思っていた。

でも、

今ならちょっとわかる気がするんですよね。

あのおっさん、ENJOYしてたんだ。


誰かに楽しませてもらう必要なんかなかった。

誰かに、

「すごいですね」

と言ってもらう必要もなかった。

ただ走る。

風を感じる。

汗をかく。

足が前に出る。

昨日とはちょっと違う自分を感じる。

そして、

気持ちいい。

それだけでよかった。

もしかしたら、

あの小学生の私よりも、

あのおっさんのほうが、

ずっと自由だったのかもしれません。


人に楽しませてもらう人生から、

自分で人生を味わう人生へ。

無意識に委ねて、

気持ちいいを感じて、

「私ってすげえ」

と自分を受け入れていく。

すると、

何でもない毎日の中に、

楽しさがどんどん育っていく。

そうなったら、

人生って、

誰かに面白くしてもらわなくても、

勝手に面白くなっていくのかもしれません。

また楽しみにしています。