今日も無意識の旅を始めていきます。


今日は、

くだらない本だったら読めるのに、勉強になると途端にできなくなる

という話を書いていました。


これ、面白いんですよね。

どうでもいい本だったら、ダラダラ読めるんですよ。

ソファーに寝っ転がって、別に理解しようとも思わない。覚えようとも思わない。

「ああ、そうなんだ」ぐらいで、どんどんページをめくっていける。


ところが、「これは絶対に勉強したほうがいい」となった瞬間、読めなくなる。


◇「今は集中力がないから」

本を開こうとすると、いろんな理由が浮かんでくるんですよね。


「今日は疲れているから」「今は集中力がないから」「時間が中途半端だから」

「せっかく読むんだったら、ちゃんと理解したいから」「もうちょっと頭がスッキリしているときにしよう」


もっともらしい理由が次から次へと出てくる。

そして結局、読まない。


でも、くだらない本は読めるんですよ。


おかしいですよね。

本当に疲れているんだったら、くだらない本だって読めないはずなんです。


ところが、自分のためになるものだけが読めない。

ここが面白いんですよね。


◇ 完璧主義だからだと思っていた

私はずっと、「これは完璧主義なんだろうな」と思っていたんです。


ちゃんと理解しなきゃ。ちゃんと覚えなきゃ。ちゃんと身につけなきゃ。

だからハードルが上がってしまって、手をつけられなくなる。


強迫的なものがあるのかな、とも考えていました。


でもここに、これまで話してきた「存在の罪悪感」というナラティブを当てはめてみると、

ちょっと違った景色が見えてくるんですよね。


◇「自分のためになること」ができない

存在の罪悪感というのは、

「生まれてきてすみません」

「ここに存在していて申し訳ありません」

というような、存在そのものに対する罪悪感ですね。


もちろん、これは私のナラティブです。


そして、もしそんな罪悪感が自分でも意識できないところにあるとしたら、面白いことが見えてくる。


なぜ、くだらない本は読めるのに、

自分のためになる本は読めないのか。


もしかしたら、「自分のためになること」そのものに、ブレーキがかかるのかもしれないんですよね。


だって、「存在していて申し訳ない私」が、

自分のために時間を使う。自分のために知識を身につける。

自分の能力を伸ばす。自分の人生を豊かにする。


それをやろうとした瞬間、意識できないところで、

「そんなことをしていいの?」というブレーキがかかる。


すると、「今日は疲れているから」「時間が中途半端だから」「ちゃんと理解できるときにしよう」

という、もっともらしい理由が出てくる。


そう考えてみると、「なんで私はできないんだろう?」という長年の謎が、ちょっと違って見えてくるんですよね。


◇「もし存在の罪悪感がなかったら?」

でも、これが本当にそうなのかどうか。

そんなこと、わからないわけですよね。


だったら、自分で試してみればいい。

そこで、こう問いかけてみるんです。


「もし、私に存在の罪悪感がなかったら?」


ただ、そう思ってみる。


すると、私の場合は面白いんですよ。

「勉強しなきゃ」と思ったときに感じていた、頭に乗っかっているような重さが、スーッと軽くなる。

「あれ?」となるんですよね。


「この状態だったら、読めるかもしれない」って。


◇ 理解しなくてもいい

そして、実際に本を開いてみる。


すると、スラスラ読めるんですよね。


もちろん、全部理解できているわけじゃない。

わからないところもある。


以前だったらそこで、「ほら、理解できてない」となる。


「こんな読み方をしても意味がない」

「もっと集中できるときに読まなきゃ」

となって、本を閉じてしまう。


でも、「もし存在の罪悪感がなかったら?」

と思ってみると、別にいいんですよね。


理解してもいい。理解しなくてもいい。

覚えてもいい。忘れてもいい。


とりあえず、ページをめくっていける。

そして読んでいるうちに、「あれ?」となる。

「意外と理解できてるじゃん」って。

「私ってすげえ」となるんですよね。


◇ 勉強が「自分を裁く場所」ではなくなる

これまで勉強というものが、知らず知らずのうちに、

自分を裁く場所になっていたのかもしれません。


理解できる私。理解できない私。

集中できる私。集中できない私。

覚えられる私。覚えられない私。


そこで、ずっと自分に○と×をつけていた。


でも、存在の罪悪感というナラティブに気づいて、

「もし、それがなかったら?」と問いかけてみる。


すると、○も×も必要なくなる。


ただ読む。

わからなかったら、また読む。

忘れたら、また読む。

面白かったら、もう一回読む。


するといつの間にか、自分のものになっている。


◇ 豊かになってもいい

ここが、一番面白いところなのかもしれません。


存在の罪悪感があると、自分のためになることをするときに、

知らず知らずブレーキがかかる。


でも、「もし存在の罪悪感がなかったら?」と問いかけてみると、

そのブレーキがちょっと緩む。


すると、本が読める。勉強ができる。

新しいことを覚えられる。


そして、自分の世界が少しずつ広がっていく。


豊かになってもいい。賢くなってもいい。

自分のために時間を使ってもいい。


そんなことを頭で自分に言い聞かせなくても、

ただ、「もし存在の罪悪感がなかったら?」と問いかけてみるだけで、

無意識がその先をやってくれる。


くだらない本を読むように、大切な本も読める。

理解してもいいし、理解しなくてもいい。

そして気がついたら、「あれ? けっこうわかってるじゃん」となっている。


「私ってすげえ」となっている。


そうやって自分のためになることを、自分のためになるとも思わずに、

淡々と楽しめるようになっていく。


存在の罪悪感。

これ、なかなか面白いです。


また楽しみにしています。