ヴィクトール・フランクルは「夜と霧」で収容所の中でも美しさを見出していた。

ゴーリキーは「どん底」で貧困と絶望の中に美しさを見出す。


「そこに美しさを見出す」ってどんな状況でも美しさが見えてくるわけ?

私にはそんな高尚なことは無理〜!って思うわけです。


ギフテッドの人は真珠を育てる貝の様である、と私は思っています。


真珠を育てる貝は、異物が殻の中に入ってきて「痛い」から痛みを軽減するために異物を光沢のあるものでコーティングしていきます。

でも、異物が大きければ大きいほど、たくさんのコーティングが必要になり、そして出来上がった真珠が大きければ大きいほど、さらに痛みが増す、という矛盾が生じてくる。


ものすごい痛みを体験して大きな美しい真珠が内側に抱えているから「美しくて価値があるものがわかる」というのが才能なのかもしれない、と考えてみるとちょっと面白い。


でも、私は、この苦しみの中で生み出された私の中の真珠を換金したいわけです(下世話だな〜)。

なぜなら、私の醜い殻の内側にある真珠は誰からも評価されることはないわけですから。

せめて、私がこれまでの人生で抱えてきた真珠(才能)はどれぐらいの金額になるかだけでも知りたいわけです。

だから、哲学的な美しさなんてどうでもよくて「この才能はいくらになるかね?」が一番興味があるんです(アハハ~)。

そうなると私が「そこに美しさを見出す」と唱えて社会性を取り戻すのは「自分の才能を換金するため」になる。


私は醜い存在だから、清く正しく生きなければ、と思って生きてきました。


自分が正しく生きようとすればするほど、周りの人との軋轢で「誰も信用できない」と社会性を失ってしまいました。

正しさを追求していると「私は間違っていなくて、相手が間違っている!」と集団の中で協調的に行動できなくなってしまってしまいます。

そして、私は「どうして私よりも仕事ができない人が優遇されていて、私は冷遇されちゃうの!」となってしまう。どこに行っても。


何で仕事ができない人が抜擢されて、私は蚊帳の外?ありえなくない!って怒っていた。

こんなに一生懸命に考えて、正しいことをやっているのに、どうして仕事ができない人ばかりが持ち上げられて裕福になっていく?と納得ができませんでした。


そして、私の通帳は空っぽになってしまう。


何故なら、こんな大変な思いをしているんだから、これくらい買っても大丈夫だよね!って余計なものを買ってしまう。

こんなに対人関係で我慢しているだから、これぐらい食べても大丈夫だよね、と余計なものを買って爆食していた(家の中は無駄なものだらけじゃ~!)。

そして惨めな気持ちになって、さらに周囲に対しての怒りが止まらなくなって、散財した結果「通帳が空っぽ!」になっていたのよね。


もし、私の真珠の値段が通帳の残金だったら「悲しい~!」になる。

そう、真珠の値段は他人が付けてくれるわけではなくて、自分がそこに値段をつけるのよね。


私は、誰か優れた人が私の才能を認めてくれて、経済的に裕福にさせてくれると心のどこかで思っていた。だから、一生懸命に正しいことをやろうって努力してきたけど、

結果、私の真珠の値段は458円でした。


「そこに美しさを見出す」は自分の真珠の美しさを見出すための呪文です。


それを唱えて社会性を取り戻すと「いつも買っていたポテチが必要なくなった」というのはストレス食いをしなくなるから。すると458円だった私の真珠が563円になる。

そうなのよね!真珠って光沢があるものが何層も、何層も重なってあの丸い美しいかたちになっていく。

薄い膜が何層にも重なってあの美しい輝きの真珠となって、そこに価値が見いだされる。


「ここで、何で急にお金のこと?」と思われるかもしれません。


これはギフテッドの人たちが「そこに美しさを見出す」って高尚なことをやってしまったら「周囲からの嫉妬の嵐じゃ~!」になるから。

他人を信用して認めるため、とか集団の中で協調的に行動できるようになるため、なんて目的でやってしまったら、

ただでさえ嫉妬されて大変なことになっているギフテッドの人はものすごいことになってしまいます。

まあ、その前に「そこに美しさを見出す」を実践すること自体に抵抗を感じているんですけどね。その抵抗感こそ正しい直感です。


「お金を貯めるため!」とか「お金を稼ぐため」などの下世話な目的で動くと嫉妬されないのよね。

嫉妬を受けないでギフテッドの人が本来の自分を取り戻すのは、この下世話な目的を前面に出していた方が早い。

(つづく)