誠意を尽くしても報われない時
私は、ずっと「誠意を尽くして正しいことをしていたら人から認められてお金持ちになれる」って信じていました(アホや〜!)。
だから、毎日のようにこのブログも2時間以上かけて書いているわけです。毎日2時間以上かかってこれですか?と思われるかもしれませんが、私は「自分のベストを尽くして正しいことをやっている!」と思っている。でも、全然結果が出ていないません(ダメじゃん!)。私がベストを尽くせば尽くすほど「どんどん視聴者が減っていく!」ってなってしまう。
それじゃ、そんなに時間をかけて書いている意味がないじゃないですか!と普通の会社だったら言われて「打ち切り!」になるでしょうね。だって、視聴者が減っているし、フィードバックだってほとんどないのでしたら、書き続ける意味がないのですから。
こんな時に「そこに美しさを見出す!」を私は唱えてみます。
すると「みんなと協調性を持てる自分になったら美しい」と思えるから面白い。
認め合って、譲り合う私になれたら美しい、と呪文を唱えていると私の心が変わっていく。
誠意とか、正しいことや真実を追求してきたのは、母親から愛されるためでした(すんなりと認めちゃった!)。
社会性を持ってしまったら、母親の愛が必要なくなってしまうのよね。
そうしたら、私はめちゃめちゃ自由になれる気がした。
「そこに美しさを見出す!」を唱えて社会性を取り戻します。
社会性は、経済に結びついていて「どんどん豊かになる方向が美しい」となっていきます。
お金を稼ぐこと、経済のことを説明する時にフロイトの理論である快楽原則と現実原則などを説明したくなるのですが、「そこに美しさを見出す!」と思った時に「誰もそんなことを求めていない!」ってことがわかるんですよね。
変なおじさんが、自慢げにクソ難しい話をしていたら「うわ!面倒臭い人だ!」って私も思うものね。
そんな話、誰も求めてないよ!あんた自慢しているの?ってなるのがわかるから「そこに美しさを見出す!」の呪文は便利。
仕事をしていても「うわ!そのやり方間違っている!」って注意したくなるのは、私が正しさを追い求めてしまっているから。そんな時に「そこに美しさを見出す!」って唱えてみると「人との違いがわかる自分は美しい」って思えてくるから面白い。
正しいことが常に美しいわけではなくて、お互いに認め合って、譲り合う精神が美しい、って思えてくると、私の中のストレスがものすごい軽減していきます。すると、帰りにポテチをコンビニで買う必要がなくなる。
そして、私の通帳の真珠が徐々に大きくなって輝きを増していく。
(つづく)