子供の頃から「漫画ならずっと夜中まで読んでいられる」と友達から借りた漫画を読むのが止まらなくなっていた。でも、宿題とか勉強になると全く集中することができない。なんで?この漫画を読む時の集中力が勉強に注げたのなら、ものすごいことになるのに、と子供ながら思っていました。そして大人になっても動画サイトをスマホで見続けることはできるけど、勉強本を読もうとすると「あれ?窓が汚れているのが気になる」とか「爪が伸びちゃったな」という感じで全く集中できなくて、そんな自分に嫌気がさして「読むのを諦めよ!」ってなってしまいます。スマホゲームとかゲームもやり始めたら止まらなくなるのに、勉強本や仕事の宿題などは家で一切できない、となってしまうから不思議。

 

これは「私が快楽に忠実すぎ〜!」が原因であるということになります。この「快楽」というのも学生時代に習ったフロイトおじさんのネタで「快楽原則」と「現実原則」からになります。学生の頃は「なんじゃ快楽原則って?」ってバカにしていましたけど、それは私がちゃんとフロイトおじさんが言わんとしていることを理解していなかったから。

 

「快楽原則」は苦痛を避け、すぐに快楽を得ようとする本能的な欲求になります。そして「現実原則」は快楽原則を抑え、現実世界の制約や結果を考慮して行動すること。現実原則の例は、子供が欲しいおもちゃのために、駄菓子を買うのを我慢して貯金する、になります(今の子は駄菓子は買わないか!)。私の場合だったらノンフライヤー(調理器具)のために、焼き鳥を買わないでお金を貯める、ですかね(焼き鳥52本分の現実原則)。

 

なんか現実原則と快楽原則って難しい、と思っていたけど、脳科学が進んでくると「あぁ!見捨てられ不安脳(外側手綱核)の GABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていると快楽原則に走ってしまって現実原則が使えなくなるのね、ということが見えてきます。

 

快楽原則に忠実っていう状態は、グルタミン酸の神経の興奮をGABAが鎮めることができなくなっている状態になります(全てナラティブで書いています)。GABAがちゃんと働いてグルタミンさんの神経の興奮を適切に鎮めていたら現実原則が働いて「楽しい未来のために先にこれをやっておこう!」って宿題をやったり勉強を楽しんですることができるようになる。

 

私の場合、0−1歳の時に「ギャ〜!」と泣いても抱きしめてもらえない、ということでGABA受容体がフル活動をし続けることでダウンレギュレーションを起こしてしまって、GABAの働きがうまくいかずグルタミン酸の興奮を鎮めることができなくなっています。だから、私は家に帰ってきても「いじめっ子のことをグルグル考えるのが止められない!」ってなっていた。ちょっとでも不快なことがあると、そのことが頭から離れなくなってしまって、現実原則が働かなくなる。

 

なんで不快な人のことを考え続けることが快楽なの?とフロイトおじさんのセンスが全く理解できませんでした。でも、脳的に考えてみると見捨てられ不安脳(外側手綱核)→孤独脳(背側縫線核)→期待脳(腹側被蓋野)の流れで「相手に期待しちゃう!」というのが快楽になる(2022年、筑波大学、慶応義塾大学、東北大学「挑発を受けると攻撃的になる脳内の仕組みを解明」から)。もちろん私は不快な相手に期待している自覚は全くありません。でも期待脳が働いていると「相手をギャフンと言わせて、謝らせたい!私に対する態度を改めさせたい!」って思っているのよね。それが期待脳で「不快から逃れようとする快楽原則」になります。

 

もちろん私がしょっちゅう耽ってしまう白昼夢も「快楽原則」でGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているから。私の脳内の興奮が収まらないで期待脳がバリバリ働いて、周りに対する期待の快感と私はすごいんだ!という自分への期待の快感に耽ってしまって「現実的に何もできていない!」となってしまっています。

 

これは親からネグレクトをされなくても「親との知能の高低差があって話が通じ合えない」でも同じようにGABAの受容体はダウンレギュレーションを起こしてしまうから「快楽に忠実」になって現実原則が働かなくなってしまうんです。

 

私がコツコツと積み重ねていこう!と思ってやっていて、ちょっとでも気に入らないことがあると「ちゃぶ台返し!」をしてしまって全てを捨ててしまうのも快楽原則になります。

 

そんな時に「そこに美しさを見出す」を唱えてみます。「快楽に忠実な私は美しい」って思えるから面白い。快楽に忠実な私はずっと醜くてダメな存在、と思っていたけど、それって親や世間様が設定してくれたもので私のものではありませんでした。確かに、快楽に忠実な私は美しいかも、と思ってみるとダウンレギュレーションを起こしていたGABA受容体が復活して「あれ?現実原則も楽しいかも!」ってなっていくから楽しい。

 

私がダラダラして何も生産的なことをしたくなくなったら「快楽に忠実な私は美しい」って浮かんできて、自然と片付けができるから面白い。