朝、芸能人の謝罪会見?をテレビで見てしまって「うわ〜!あの人のことが頭から離れなくなってしまった」となります。会見の映像の中で目が泳いでいて「どうして目が泳いでいる?」って考え始めてしまったら、いろんな想像をしてグルグルしちゃう。そして「この方は一体何をやったんだ?」とインターネットで検索したくなる。

 

そう、私は不快なものが目に入ってしまうと、それが頭から離れなくなってグルグル考えてしまいます。そして考え出すと止まらなくなって「不快な人のことが頭から離れな〜い!」となる。

この現象は、「私が納得がいくまで考え続けてしまう」とか「相手のことが理解できるまで考えてしまう」などと思っていました。通勤ラッシュ時に肩をぶつけてくるサラリーマンのこととか「なんで私にぶつかってくる?」と考え始めたら止まらなくなって、夕方になっても「なんであの人は私にだけぶつかってきた?」と考えてしまう。

 

私が不快なことを考え続けてしまう、というのは実は「快楽に忠実だった!」ということに気づいた時、ちょっとショックを受けちゃった(マジで!?)。

芸能人の記者会見を見ている時に私は「自分もこの方と同じことが起きたら」と想像して、私の見捨てられ不安脳(外側手綱核)が活発になります。

そして、私が過去にみんなから糾弾されて孤立したことを思い出して孤独脳(背側縫線核)がはたらきます。

そして「私は彼の方のように謝罪会見の時に目が泳いだりしないでしょ」と思うのは、私の期待脳(腹側被蓋野)が活発になって「私はこの人よりも優れている」という快感を感じているから。

 

ここで面白いのは「私はこの方よりも優れている」と思った次の瞬間に、「いや、この慢心で大変なことになる」とみんなから見捨てられる不安が湧いてきて、それで過去に見捨てられて孤独になった場面が浮かんできて孤独になり、次の瞬間には「私を見捨てた奴らは最低!」って人を裁いてしまう。

それは、私の期待脳が働いて「人の罪を裁いて快感!」を感じているから。

 

私はこれを頭の中で延々と繰り返しているから「不快なことを考えるのがやめられない」となっているけど、目的は期待脳からの「快楽」でした。

 

私が「普通の人だったらこんなくだらないことに時間を費やさないでもっと時間を有効に使っているよな」と思ったら孤独脳が活発になってしまうから「アウト!」で、期待脳が「こんな惨めな私のことを誰か理解して救いの手を差し伸べてくれるんじゃないか」と幻想の人から受け入れられる快感を与えてしまいます。

そして次の瞬間には「そんな人は誰もいなかった」という見捨てられ不安で、、、という無限ループに入って私は快感を貪っていました。

 

通勤ラッシュ時にサラリーマンに肩をぶつけられた時も、「他の人にはぶつからないのになんで私だけ」と思った時に見捨てられ不安脳が活発になるのは「みんなとは違う最悪なことをやられている」と感じてしまうから。

「なんで自分だけ!」と思った瞬間に孤独脳が活発になるから、期待脳が働いて「あの失礼なやつに罰を与えてやる!」って頭の中で復讐する場面を想像するのが「快感!」になる。

子供の頃にヒーロー戦隊ものが好きだったけど「悪をやっつける!」という快感に私は浸っていた。

 

通勤ラッシュ時に肩がぶつかった時に「ぶつけられた!」と感じてしまうのは、0−1歳の時にGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまったからなのよね。

ちょっとした刺激で起こる脳の興奮がGABAで鎮められないので、私の脳が炎症を起こして認知機能が歪むから「わざとあの人は私にぶつかってきた」と思えてしまう。

 

そう、これって自分の考え方ではどうすることもできないのはGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているから。

 

私はグルグル不快なことを考えている間中ずっと「私は正しいことをやっている!」って信じて疑いませんでした。

そう、相手が間違っていて、私が正しい、って思っていたのよね。

でも「快楽に忠実な私は美しい」って思ってみると「うん!ヒーロー戦隊大好き!」って幼子のような気持ちに一瞬なって、そこから自分が一気に成長していくような感覚になってくる。

 

そして「美しいものを見ていたい!」って思えるようになったのか、いつの間にか私の頭の中に不快な人たちが消えていたんです。

 

私の頭の中のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていたのが「快楽に忠実な私は美しい」でGABAの受容体が復活して、脳の興奮が静まって炎症が消えていきます。すると、そこに美しい世界が見えてくるんです。