「快楽」と「不快」がごっちゃになる脳の仕組みとは?
見捨てられ不安脳(外側手綱核)のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまう、というのは具体的にどういう仕組み?とナラティブで考えてみると興味深いんです。
赤ちゃんの場合「不快だったら泣く!」、「気持ちよかったら笑う!」となっています。お腹が空いて不快だったら泣いて、そしてお母さんからミルクをもらって「快楽(欲望の充足)」で気持ちよく眠る。
「快楽」と「不快」の二つの興奮性ニューロンがあって「不快を感じなくてもいい」と「快楽がなくてもいい」というGABAの抑制性のニューロンが存在しています。
赤ちゃんが「お腹が空いた!」と泣いている時には、「快楽を感じなくてもいい」というGABA受容体が活発になって「不快」というグルタミン酸の興奮性が活発になり、その結果「快楽を求めて泣く!」ということができるわけです。
お母さんに抱きしめられる「快楽」が得られていない時は、「快楽を感じなくていい」というGABAの抑制性のニューロンが活発になって「不快」の興奮性のニューロンが活発になるから「お母さんに抱きしめられることを求めて泣く!」をしています。
抱きしめられた時に「不快を感じなくてもいい」というGABAの抑制性のニューロンが活発になるから「快楽」の興奮性のニューロンが活発になって、抱きしめられながら快楽を得て寝る、となる。
赤ちゃんがお母さんに「不快」を訴えて泣いた時に、抱きしめられて「快楽」を得ることで「不快を感じなくてもいい」という抑制性のニューロンであるGABAの受容体が育っていきます。
GABA受容体が育つことで、ちょっとした刺激ではGABAがちゃんと働いて「不快を感じなくていい」と興奮を抑制してくれるようになる。すると「ちょっとのことでは動じない!」という堂々とした子供ができ上がるわけです。
この0−1歳の時期に「不快」と赤ちゃんが泣いている時に、放置されたり、「なんでそんなに泣くの!」とさらに深い刺激を入れられたりすると、「不快」の興奮性のニューロンが鎮まらないから「快楽を感じなくていい」のGABAがフル活動をしてしまうことで、GABA受容体がダウンレギュレーションを起こして「ちょっとの刺激でもものすごく興奮する!」となってしまう。
そんな赤ちゃんが大人になると、「職場の人が挨拶をしてくれない」という刺激で「不快」の興奮性のニューロンが活発になって、それを抑制するGABAが働かないので「興奮が止まらなくてどんどん相手に対する不快感が増していく!」ってなってしまう。
さらには「快楽」と「不快」の興奮性のニューロンが同時に興奮してしまっているから、「快楽」が「不快」とごっちゃになってしまう。だから「不快」が「快楽」のような感じになって、さらには「快楽」が「不快」になるから「何をしても全然楽しめない!」となる。
私がこんなふうに「快楽」ということを書くこと自体にものすごい抵抗感が湧くのは、「快楽」と「不快」の興奮性のニューロンが同時に活発になってしまっているから。
子供の頃に、テレビドラマでラブシーンがあってそこに親がいると「ものすごく気まずい感じになる」というあの感覚ですね。「快楽」というアクセルと「不快」というブレーキを同時に思いっきり踏んでいる感じで、目の前にあることが何も楽しめない。
ちょっとした社会的な刺激で「相手に対する頭の中のダメ出しが止まらなくなる」とか「性的妄想に耽ってしまってものすごく後ろめたい気持ちになる」というのもGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまって「不快」と「快楽」の興奮性のニューロンを抑制できなくなってしまうから(あくまでもナラティブで書いています)。
だから私は「快楽」という文字を見ただけで両親と見ているラブシーンのような感覚で「気まずい」とチャンネルを変えたくなるのよね。「快楽」という言葉自体に嫌悪感を覚えてしまうのは「快楽」と「不快」の興奮性のニューロンが抑制されずに同時に活発になっているからなんです。
そんな時に「そこに美しさを見出す」を唱えてみると、「快楽に忠実な私は美しい」って浮かんでくるのよね。そしたら私の中で「母親に散々性的な嫌悪感を植え付けられてきたな〜」っていうエピソードが浮かんでくる。そんな時に「快楽に忠実な私は美しい」と思ってみると「私は私なんだな」と思えるから面白い。
そう「快楽」が気まずい感じだったのは「お母さんと一体だったから」なのかもしれない。
いつまでもお母さんのミルクを求め続けて「不快」を訴えていた私から、「快楽に忠実な私は美しい」のフレーズは私を成長させて離乳をさせてくれた。
もう、一人で「不快」も「快楽」も回避したり求めたりできるのだから。