「私のライバルは私」をやってみると、「あれ?こんなに楽にこれまで越えられなかった壁を越えることができるようになった」となります。

ラットの実験で判明した、「右に曲がると大好きなお水が飲める」があると「左に曲がったら行き止まり」という選択肢も必ずラットの脳の中に存在する、その仕組みと同じ。

右に曲がったら水があるんだから、迷う必要がないじゃない!と思うのだが、脳の中では「左に曲がったら行き止まり」の選択肢も必ず存在していて、その選択肢に「左に曲がらなくていい」と抑制をかけることで「右の水のある方に曲がれる」ができる。

 

このハーバードの研究は画期的で、人間の本質である「矛盾と葛藤と逆説」を説明してくれます。

ニュースで事件に巻き込まれた人がいると「かわいそう」と思う自分がいるけど、心のどこかで「ざまあみろ」と思ってしまう自分がいたりして「ヒェ〜!」となる。これは一般の人にはあまり理解されない感覚で、幼少期に虐待とかネグレクトを受けたりすることで「左に曲がらなくていい」というGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしているから、「左の行き止まりに曲がる」の選択肢がクリアにわかってしまうだけ。

一般の人たちの脳内では「かわいそう」の反対側の「ざまあみろ」の抑制である「ざまあみろと思わなくていい」というGABA受容体がちゃんと働いているから「かわいそう」という選択肢を迷わず選択することができます。ネグレクトや虐待でGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまうと「かわいそう」の裏に隠れている「ざまあみろ」が同時に浮かんできて「なんで?」と自己不信感でいっぱいになってしまうんです(全てナラティブで書いています)。

 

私の場合、「誰からも理解されない」で孤独を感じた時に期待脳が活発になって「私はすごいんじゃ〜!」となっている時にも同じことが起きています。

私が学生の頃は「私はすごいんじゃ〜!」で「ノートを完璧に取ることができる」と思った時に、同時にその反対側である「全く授業についていけなくてノートがぐちゃぐちゃになってしまう」という二つの分岐点ができてしまいます。

乳幼児期に放置されてしまって、GABA受容体がダウンレギュレーションを起こしてしまっている私は、この二つの選択肢が脳内で同時に興奮してしまって「ノートに書き出そうとすると頭が真っ白になる」となります(脳の興奮の抑制が効かないからニューロネットワークの電気異常を起こすため発作状態になる)。そして、ちょっとでも自分の思い通りにいかないと「グチャグチャにしてしまえ!」ってノートを破壊する。

 

「自分の思い通りにいかないとすぐにそうやって破壊する!」って誰からも言われていないのに、私の見捨てられ不安脳(外側手綱核)のGABA受容体が乳幼児期にダウンレギュレーションを起こしているので、「ちょっと字を間違えてノートが汚れた」というだけで、外側手綱核が過活動を起こして「破壊!」してしまいます。

 

掃除でもそうですね。孤独な私は期待脳が活発になってしまうから「完璧に掃除ができる」と思ってしまうと、その反対側の「ゴミ屋敷状態で何もできない」というニューロンも活発になってしまいます。そして、床に落ちていたティッシュを丸めてゴミ箱に捨てようと投げて「あれ!ゴミ箱に入らなかった!」という瞬間に、外側手綱核が過活動を起こしてしまって「もう、どうでもいいや!」と受動攻撃的に片付けや掃除をすることを私は諦めてしまいます。

これが「何もできない完璧主義者」の私の頭の中で起きていること。

私は「母親から何をするにもいちいちダメ出しをされてきたから掃除や片付けができなくなった」と思っています。それはあながち間違っていないのですが、期待脳の完璧主義で思うようにいかなくなった時に、外側手綱核の見捨てられ不安脳が活発になって破壊的になるから「母親が」と言っているわけです(全てナラティブで書いています)。

 

「私のライバルは私」と私が思った時に「掃除をするって言いながらやらないんだよな〜!」と私のことをバカにしている私がいます。

 

これがいいのよ!これが!

 

なぜならば「完璧に掃除をすると言いながらやらない自分」と自分をバカにした時に、それがGABAの代わりに働くから。

だから「やらないでゴミ屋敷でもいい!」って私の脳内では抑制が掛かって「掃除を楽しくする」のニューロンが興奮するから「隅々まで掃除をするのって楽しい!」ってなるわけです。

 

ライバルと言いながらも、私が相手にするのはダメダメな私だから「あいつだったら簡単に越えられるじゃん!」でこれまで越えられなかった壁が簡単に越えられるようになるんです。

 

もっと面白いのは「掃除をするのは誰のため?」ということ。

肯定的な行動は全て「母親から愛されるため」と母親に結びついてしまっているから、ちょっとの刺激でも「見捨てられ不安」の外側手綱核が反応しやすくなります。 

 

「私のライバルは私」とした時には母親がいなくなるのよね。

だから「もう嫌だ!」というちゃぶ台返しがなくなって、淡々と自分のやっていることを積み重ねることができるようになります。