なぜ私は「人の真似」がこんなにも苦手だったのか
私がカウンセリングの仕事を始めて駆け出しの頃、催眠のお師匠さんのところに「このケースはどのように治療していったらいいですか?」とスーパーバイズを受けにいっていました(このエピソードは『無意識さんの力で無敵になる』に書いてあります)。
職場の人間関係で悩んでいらっしゃった方の話で、私は「催眠療法だったらどんなふうにこの方を治療するんだろう?」とワクワクドキドキしながらお師匠さんの話に耳を傾けていました。
すると催眠のお師匠さんは「あの先生(ボス)でしたら、このケースをどのように治療しますか?」と私に問いかけられます。私は「いや〜!ボスはどうでもいいの!お師匠さんの催眠療法のやり方が知りたいの!」と心の中で叫んでいた。そんな私の心の中の叫びを聞き取ったのか、催眠のお師匠さんは、もう一度静かに「あの先生だったら、この方に対してなんておっしゃるでしょう」と優しく静かに尋ねられた。
今、考えれば、あれが催眠のお師匠さんの催眠誘導だったんですね。
私は、催眠状態に入って、いつの間にかボスと向き合っていて、ボスがタバコをふかしながら、太々しい態度をしているところがイメージされます。
すると催眠のお師匠さんの前でおどおどしていた私の態度が、どんどんボスのようにふてぶてしくなっていき、ボスの口調でそのケースの見解をお師匠さんに語り始めた。
私は心の中で「なんじゃ!こりゃ〜?ボスが見ていた世界ってこんな感じだったんだ〜!」と喋りながらびっくりしていました。
お師匠さんがニコニコしながら私の話を「うん、うん」と聞いてくださった姿が今でも目の前に浮かびます。
私は初めて「人の真似をする」ということをやることができて、そこから「真似をすると簡単に相手の技術を盗むことができちゃうんだ!」と感動して、ガンガン盗みまくります。
相手の真似をしていると「あぁ!あの達人はこんな景色を見ていたんだ〜!」という、私がそれまで見たことがなかった景色が目の前に広がっていきます。
私はこれをずっと子供の頃からしたかったんだな、としみじみ思うわけです。なぜって、子供の頃に学校で授業中に「先生の真似をする」ということをしていれば、こんなふうに先生が見えている正解の世界が見えてくる、となったはず。
人の真似ができなかった私は、いつの先生からやり方を丁寧に教わっているのに、自分のオリジナルのやり方をしてしまうんです。そしてテストの時は「不正解!」にされてしまって「なんで?どうしてこのやり方だと正しい答えに辿り着かないの?」とぐるぐる考えてしまう。多分、周りの子はみんな、素直に「先生の真似をする」ができていたから「あぁ!簡単じゃんこれ!」って私ができない問題を簡単に解くことができていた。
どうして私だけがみんなと同じ正解が出せないの?私ってバカなの?とずっと悩んできました。
でも、心理学などの研究が進み「第四の発達障害」というのが出てきて「ネグレクトや虐待を受けると発達障害の症状が出てしまう」ということがわかってきます。
そして、さらに脳科学の研究が進んでいくと、「あぁ!私の見捨てられ不安脳(外側手綱核)のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていて、ちょっとした刺激でも過活動を起こしてしまうから「みんなと同じことができない」ということになるんだ、という仕組みが見えてきます(全てナラティブで書いています)。
外側手綱核は社会的挑発を感じる脳の部位です。
例えば小学校の生徒だったら、普通は「先生から授業を受ける」ということでは外側手綱核は過活動を起こしません。
でも、ネグレクトを受けて外側手綱核のGABA受容体がダウンレギュレーションを起こしていると、偉そうな先生が私のわからないことをベラベラと喋っている、という感じで外側手綱核が興奮してしまい、「自分だけがわからないんだ」と孤独脳が活発になります。すると期待脳が活発になり「どうしてもっと先生はわかりやすく教えてくれない!」とか、「私は先生が教えてくれるよりももっと簡単な方法を導き出せるはず」となってしまいます。
だから「みんなと同じことができない!」となってしまって、周りの人からは「この子、発達障害なんじゃない?」と思われてしまうわけです(全てナラティブで書いています)。
他の子だったら「先生が偉そうな態度で教えている」とか「私が理解できないことを喋っている」というのが社会的刺激にならないので、授業の内容に集中できて先生の真似をしてちゃんと正解への公式を憶えて正しい答えを導き出すことができちゃいます。
私の場合は、先生の態度、喋り方、そして話の内容が全て「社会的刺激」になって見捨てられ不安脳が活発になってしまうので、私は自分のオリジナルのやり方でやってしまって、「ちっとも正解を出すことができない!」でさらに孤独を感じて、みんなと同じことができなくなっていたんです。
「そこに美しさを見出す」でも「私のライバルは私」でも、見捨てられ不安脳の過活動を鎮める可能性があります。
「そこに美しさを見出す」を心の中で唱えてみると、「相手の真似をしてみると美しさを見出せるかも」と思えるのは外側手綱核の過活動が鎮まるから。
「私のライバルは私」と思ってみると、できない私を超える最短コースを取るようになるので、「あの人の真似をすればいいんじゃん!」って真似ができるわけです。
そうしたら、私のオリジナルはどうなるの!私らしさが消えちゃうじゃない!と私は思ってしまう。
そんな時にも「そこに美しさを見出す」って唱えてみると、「あぁ!真似をした人を超えた時に、自分のオリジナルの世界が見えてくるんだ!」と美しい世界が見えてくるんです。