私は、一人キャンプなどはやったことがないのですが、自然の中で一人キャンプをやって焚き火を眺めていたら心が安らぐだろうな、と思うんです。

もし、家の中に暖炉があって、そこで薪を燃やしていたら心が安らぐか?というと「ちょっと違うかも!」ってなるわけです。なぜなら、家の中には人につながる様々なものがあるから。座椅子とかちゃぶ台とか、私の周りにあるものは、全て人にまつわる思い出が詰まっているので、暖炉の薪を燃やしているのを眺めていて「あれ?なんだか人のことを思い出してぐるぐる考えちゃう」ってなって心が安らがない。自然の中だったら思い出も何も私の場合ないから、人の視線を感じることなく焚き火がパチパチいっている音に耳を傾けながら、心が安らいでいく。

そうなのよね!家の中の暖炉の火を眺めていたら、いつの間にか人のことを考えてしまって、自分は安らいでいるつもりなのに、白昼夢に入ってしまう。自然の中だと、焚き火に集中することができて、そこから伝わってくる温かさや匂いや音を感じながら心安らかになっていく。


もし、私が「心安らかに生きたい」と思った時に、わざわざ寒いキャンプ場まで行かなくても心が安らかになることができる方法は、と考えてみます。それは「心の中で一人キャンプをやること」と私の中に浮かんできます。心の中で一人キャンプって、一人でキャンプをしているイメージをすること?と思ったのですが、どうやら違うらしい。

手順は簡単で私の周りをすべてキャンプがしやすい原っぱにしてしまいます。街を歩いている人も、テレビに出ている人も全て「みんな自己肯定感が低い」と思うことで、まわりが背丈の高い藪が生い茂っていると思っていたのが「私の周りは適度に刈り込まれた草原じゃないですか!」という感じで一人キャンプにふさわしい場に変わっていきます。「みんな、みんな自己肯定感が低いんだ!」と思えば、どんどん自分の周りに一人キャンプにふさわしい草原に変わっていきます。

そしたら、テントを張ってその前で自由に焚き火をすることができます。背丈が高い薮に囲まれている、と思っていた時は「枯れた藪に火が燃え広がって炎上しちゃう!」が怖くて焚き火なんて到底できませんでした。でも、みんな自己肯定感が低くて刈り込まれた草原なんだ、と思ったら焚き火の火が燃え広がることなんて恐れなくなる。その恐れがなくなった時に「私の心の中の焚き火は、私の欲望なんだ」ということに気づきます。


私には、他の人のような欲望がない、とずっと思ってきました。でも、それってただ周囲の背丈が高い枯れた藪に燃え移ってしまうのを恐れていたから、その炎をずっと隠していた。周りが草原になって焚き火で心安らかになりたい、と思った時に、その炎を覗いた時にそこには私の欲望が静かに燃え盛っていた。

私はずっと「欲望があったら心安らかにいられないじゃない!」と思っていました。でも、それって背丈が高い藪である周囲の視線を気にしていたから。静かに燃え盛る焚き火を眺めながら心安らかになる、と思った時に、そこには素敵な私の欲望があった。その炎が時折、静かな風に煽られてパチパチっと音を立てながら火柱を立てて私の顔を明るく照らし、その火柱が静かになった時に、私の心を安らかにしてくれます。


無欲の方が心安らかにいられるような気がしていたけど、やっぱり満天の星空の下で温かい焚き火に照らされていた方が私の心は安らぐ。

この「欲望の焚き火で心が安らぐ」という発想は、理化学研究所の研究(他人の利益を考慮する意思決定の脳回路 2019年5月22日https://www.riken.jp/press/2019/20190522_1/index.html)が参考になっています。実験で「自分のボーナス」の時に左背外側前頭前野(自制心などの高次認知操作に関わる場所)が活発になり、「他者のボーナス」の提示の時には左背外側前頭前野に加えて右側頭頭頂接合部(推測脳)が活発になっていました。自制心脳(左背外側前頭前野)が活発になるんだったら「私の欲望」を心の中で燃やすことって「心安らかになる」につながるはずなんですよね。


欲望を燃やして心安らかになる条件は、そこが刈り込まれた草原で安全な場であることを認識すること。この研究でさらに興味深いのは、個人主義の人は不安、不快感、恐怖などに関与し、他者の感情への共感に関係する左島皮質→内側前頭前野の流れだったのに対して、向社会性の人は他者のボーナスの時も自分のボーナスと同じ脳の流れでした。向社会性の人は「与えあう」ことで人生が動き出す(ちなみに「与えあう」ことで人生が動き出すは青春出版社の本のタイトルです)。向社会性の人は推し活でも、私の欲望と同じ役割になって「心が安らぐ」という効果が得られるみたい。


心の炎を静かに燃やして、心が安らいでいきます。